本に関して想うこと

2009/06/17

「読者対象」って言葉がクセモノなんだな

本の企画を考えるときには、その本の「読者対象」も考える。
これ、当然。
でも、この「読者対象」という言葉が実はクセモノだったということに、最近になってようやく気づいたおいらはバカですか、そうですか。

本を、というか、営利出版社が商業出版物をつくるときに考えるべきことは、「読者対象」なんかじゃなく、「購買動機」なんだよ。
「読者対象」が存在したって、その人たちに強い「購買動機」が存在しなければ、ダメなんだよ。

読者対象。あぁ、なんてあいまいな言葉。
そこには「購買動機を持った対象者」も、「購買動機のない対象者も」も、「自分が対象者であることに気づいていない潜在読者」も、みんな含まれる。
「買ってくれる人」も「買ってくれるかもしれない人」も「買うべきである人」も、みんなまとめて「読者対象」になっちゃう。

おおくくりの「読者対象」がどれだけたくさんいたとしても、そんなの実は、たいして意味がない。大事なのは、「買ってくれる(はずの)人」がどれだけいるかってこと。購買動機を持った「お客様」になってくれる人が、どれだけいるかってこと。

だから、考えるべきは「どんな読者の役に立つか」よりも「なぜ、これを買うのか」のほうなんだよね。だって、どんなに「これはあなたの役に立つ本ですよ」と作り手がいったって、買い手の側に「買いたい気持ち」がなければ、お客様にはなってくれないのだから。

「読者対象」よりも「購買動機」。
当たり前といえば、あまりに当たり前。
それに気づくのに何年かかってんだか。
やっぱ、いつまでたっても「なんちゃって編集者」だな、自分。


  

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2009/01/28

家庭用の簡易製本機があったらどうだろう


あんまり売れない「本」以上に「電子ブック」が売れてない(気がする)のは、本の「中身(コンテンツ)」がほしいお客様よりも本という「パッケージ」がほしいお客様のほうが多いからなのかなぁ。

でも、パッケージであることが流通を難しくしてるところはあるし、買い手(お客様)の事情に合わせた使い方を制限しているところもあるよなぁ。

電子データによるコンテンツだけでいいのであれば、絶版商品ってずっとずっと少なくなるはず。

パッケージにしなくちゃいけないから、最小ロット以下の冊数の増刷はできないし、倉庫に山積みになったはけない在庫のコストにも怯えなくちゃいけない。結果、まったく売れない商品だけでなく、じんわり確実に売れるけど回転の遅い商品も、やっぱり増刷できずに絶版(出版社的には「品切れ・増刷未定」といったりするけど、実質的に絶版とほぼ同じ)になっちゃう。

電子データ提供でいいのであれば、パッケージの最小ロットも在庫コストも、ほとんど問題にならないはずだよね。

また、現状ではメーカー(出版社)側で完成させたパッケージでしか売っていないから、たとえば小さな文字が読みにくい人には字を大きくして提供する、とかできない。行間の広さや縦組み・横組みも、どれが自分にとってしっくりくるかは読み手によって違うはずなのに、お客様の事情や好みに合わせて変更したりアレンジしたりすることができない。

それでも本というパッケージがほしいお客様のほうが多いのなら、たとえば電子ブックデータを簡単に取り込んで、字組みやフォントやページデザインなどを自分の好きなかたちに簡単に設定できて、そのあとはボタンひとつで簡単に印刷・簡易製本できるような家電機器がね、あったらいいかなとか思う。本文は普通のコピー用紙に両面印刷だけど、表紙はちょっと硬めのいい紙が数種類お好みで使えるようになってて、表紙のデザインもテンプレートのほかに自分でつくれたりするの。家庭用のDVD作成ソフトとかにある、ルートメニュー作成機能みたいな感じ?

コンテンツは電子データをダウンロードで購入し、本文を普通紙印刷したものを、自分の好みの紙質の表紙に自分の好みのデザインを施したものでくるんでぱちっと製本。自宅で簡単に「自分好みに本文レイアウト&表紙デザインされた本」がつくれたら、どうだろう。コンテンツだけで買えばパッケージ版の半額くらい、使用する紙はお好みで値段の違うものを何種類か用意、みたいな感じで。簡易製本機自体はパソコン用プリンタとしても使えて2万円くらいとかだったら、買う人いないかなぁ。そういう道具があれば、電子ブックを買おうっていう人は増えないかなぁ。




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カバー写真
ディズニーランドが教えてくれた「お客様を大切に想う気持ち」

楽天ブックスで買う
Amazonで買う



今月発売になったばかりですが、もう増刷になりましたよー。
「王様の耳はロバの耳~の、穴! Ver.2.0」さんや、「ざっくらばん!」さんでもご紹介いただいてます(ありがとぅ!)。
あ、1月31日は著者の加賀屋さんの誕生日だ! もうすぐですね。おめでとぅ!

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2008/08/26

読者は本を選び、本は読者を選ぶ


きっと、世の中に「完全に悪い本・ダメな本」なんて、ない。
「まったく誰の役にも立たない本」なんて、ない。

あなたの役には立たなくても、
ほかの誰かにとっては役に立つ(部分がある)に違いない。
あなたにとってはつまらない内容でも、
ほかの誰かにとってはおもしろい(部分がある)に違いない。

読者が本を選ぶのと同じように、本はそれを読む読者を選ぶ。
「役に立たない」「つまらない」のは、
それが「悪い本」「ダメな本」だからではなく、
あなたが「本を選ぶ」ことに失敗しただけ。
本が、あなたを「読者として選ぶ」ことをしなかっただけ。

だから、自分で読む本は、自分で選びたい。
誰かが選んだものを読むのではなく、自分で選んで読みたい。
誰かが選んだその本は、
その「誰か」を読者として選んだかもしれないけれど、
あなたも読者として選んでくれるとはかぎらない。

だから、自分で読む本は、自分で選びたい。
自分を読者として選んでくれる本を、自分で選びたい。

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9月2日発売の

『いまの仕事で本当に幸せになれますか ~自分にぴったりの《天職》を見つける本~』

の見本が刷り上ってきましたー。カバーの空色がきれいに印刷されてて爽やかです。

この本を、どんな人が選んでくれるかな。
この本は、どんな人を読者に選ぶかな。

たぶん、

夢はあるのだけど、最初の一歩を踏み出す勇気がなかなか出ない人。
夢を見つけたいのだけど、夢の見つけ方がわからない人。
いまよりもっと、イキイキと輝いて仕事をしたい人。
「やりたいこと」や「幸せな生き方・働き方」を探している人。

そんな人が、この本との相性がよさそうです。

書店さんには9月2日ころから並び始めるはず。
Amazonではすでに予約受付中。







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《新聞広告掲載予定のお知らせ》

8月の新聞広告掲載予定です。

日経新聞   5日(火)
東京新聞   6日(水)
中日新聞   7日(木)
神戸新聞   7日(木)
西日本新聞  8日(金)
北海道新聞  12日(火)
中国新聞   18日(月)
(明細)
★大喜利式発想脳トレーニング
★子どもの「学習脳」を育てる法則
★学校の勉強だけではメシは食えない!


書店さん、品揃えよろしくお願いします。
読者さん、広告を見かけたら、ぜひ書店さんで実物のご確認を。

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2008/08/15

著者が売る時代

最近では、本は、とくにビジネス系書籍は、いかに「著者が自分で売るか」が重要になってる。
「いまや本は著者が売る時代だ」という方もいる。

著者さんが自分で持っている人脈をフルに活用し、著者さんの行なう講演会やセミナー、研修会をフルに活用し、宣伝告知だけでなく、「著者さんのお客さん」に買ってもらう。
著者さん自身が書店さんを回り、営業活動をする。

さらに最近では、著者さん自らが費用を負担して、広告を打ったり、書店向けのFAX DMをつくって送ったり、書店での買上によるランキング操作をしたり。
流行りのAmazonキャンペーンだって、それにかかる告知費用(ウェブページの制作とか、メルマガへの出稿その他)はたいていの場合、著者さんが自分で出す。
こうした販促活動にかかる費用は、場合によっては100万円か、それ以上することもあったりする。
その費用を著者さんが、自分で出してる。

出版社としては、こういうのってありがたい。
実際、いかに著者サイドでの販売が見込めるか、著者グループによる購買が見込めるかは、出版社にとって無視できない大きな要素になってる。
単純に本をつくって書店さんに並べるだけでは、なかなかヒットにならないというのもわかってるつもり。

だから、著者さん自身に「自分の本を売ること」についての意識を持ってもらい、積極的に宣伝・告知をしてもらいたいとは思う。友人・知人に声をかけ、クチコミを広めてもらいたいとも思うし、時間があれば書店さんに挨拶に行っていただくのも助かる。マスコミにコネクションがあるなら存分に活用し、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどなどでぜひ紹介してもらいたいとも思う。

でもね、それはあくまでも「著者さんのできる範囲」であるべきだし、著者さんの積極的な気持ちでの範囲であるべきだよね。
著者さん自身が「自分の本を売りたいので、こういうことがしたい」あるいは「自分の本を売るためにできることはあるか」という気持ちに出版社が応えるかたちであるべきだと思う。

こちらから執筆をお願いして書いてもらった本について、著者に対し「ただ書くだけでなく、売る気を見せろ。“売る気”とは、自分で書店に営業に行くことだ、そして、なんらかのかたちで販促費を出すことだ」と出版社の側からいうのは、おかしいと思うんだ。それをはじめから著者さんに要求するのは、違うと思うんだ。

たしかに、そうしてもらえたら出版社としては助かる。
でも、それじゃ出版社の仕事って、なんだよ?
著者さんにお金を出させて、自分で営業に行かせて、こっちは本をつくるだけなんて、自費出版や共同出版とたいして変わらないじゃん。うちらは企画出版で本をつくって売ってるんじゃないのかよ。

そう思ってしまうので、著者さんに「営業に行ってください」「販促費用を負担してください」とは、なかなかいえない。
やってくださいとはいえないけど、こういうやり方がありますよと、情報提供を装って伝えたりはする狡さに、ちょっと哀しくなる。
もしかして、話に乗ってくれたらいいなとか思ってる。

やってくださいとはいえないけど、自主的に、積極的にやってくれるというなら、やはりすごくありがたい。
そうしたことをやってくれる著者さんの本に対しては、営業部もモチベーションがあがるという。
そうしたことを積極的にやっている他社さんの本はよく売れていると訴える。
実際、たくさん売れる本にするためには、そういうアクションも必要なのだろう。

でも、やっぱり思う。
じゃ、出版社の仕事って、なんだよって。

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2008/02/18

章ごとのダウンロード販売、うちもやれたらなぁ

Random House、電子書籍を章ごとにダウンロード販売(ITmedia News 2008年02月13日)


自分は「本」を「レコード(CD)」と同じように考えることが多いのです。なので、前から思ってたんです。「アルバムで売るだけじゃなく、シングル・カットもしたいなぁ」って。要するに、まるまる1冊で売るだけでなく、章単位とか項目単位でも売りたいなと。

ビジネス書はだいたい1冊が200ページくらいあって、値段が1400円程度。これって、「内容的にどうしても200ページ程度が必要」だからこのページ数になっているかというと、そういうわけではないこともなくはなかったりすることもあったりするわけで(ゴニョゴニョ...)。

ぶっちゃけ、お客さんにとっては200ページのうちの「この章40ページ分だけが欲しい」こともあるだろうし、「この1項目だけが欲しい」こともあるでしょう。勉強家のビジネスパーソンさんたちはその「40ページ」や「1項目」を手に入れるために1冊分の値段である1400円を払ってくれるけれど、きっと多くの人は考えたことがあるはず。

この40ページだけでいいから、安く売ってくんねぇかなぁ。

自分はよく考えてました(^^;)。

制作比率とか利益計算そのたもろもろ等の関係で、ほんの数十ページの本とかは、なかなかつくりにくいのです。ページ数が半分だから定価も半分でつくればいいじゃんというわけにはいきません。だから、「本」というパッケージでのシングル・カットは難しいのです。

でも、デジタル・データなら? おおもとの1冊分のファイルをファイルカッターで切り出せばいいだけだから、加工費と加工の手間はかかっても、「ページ数の少ない本を別につくる」よりも費用的にも手間的にも簡単なはず。

だから、電子ブックができた頃から、章単位、項目単位の分割販売もやればいいのにと、ずっと思ってたのですよ。それに、1冊分ファイル1400円ではなかなか買う気が起きなくても、たとえば4章のうちの1章だけが400円で買えたなら、さらにはそのなかの1項目だけが150円くらいで買えたなら、ためしに買ってくれる人も増えるんじゃないか、そして電子ブックの手軽さや便利さ(があるのかどうかは実は知らないけど)を実感してくれたら、いずれまるまる1冊分のものも買うお客さんに育っていく人も増えるんじゃないか、とか思ってたの。

でもなぁ、うちはそういう方面については疎いし、会社としてあまり興味がないし、個人的にそれを研究するにも時間や費用の面で実現性が低いし(いや、これはたんにめんどくさいことはしたくないという自分の言い訳です)。

そんなこんなでうだうだしているうちに、やっぱりアメリカさんは違うね。さっさと始めちゃうわけだ。

これ、お客さんのあいだに定着してくれるといいなと、本当に思う。コンテンツの売り方に多様性がでることを歓迎する。そのコンテンツが「本」として読まれようが「電子ブック」として読まれようが自分にはどっちでもいい。読んでもらいたい、買ってもらいたいから商品化したのであるから、どういう形であれ読まれるなら、買ってもらえるなら、それは喜ばしいことだと思う。

本って、その形や売り方の大部分がメーカー(出版社)と小売店(書店)によって決められていて、買い手側の好みや事情に対応できる部分が少ない商品のひとつだと思う。本が「紙の本」だけでなく「データ」にもなることで、買い手・読み手にとって使いやすい方法がいくつも生まれ、選びやすい方法を選べるようになるといいな。


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2008/02/05

増刷分から値上げって、ありなの?


某所の書き込みで知ったのですが、講談社さんで発行しているコミック『のだめカンタービレ』の定価が、増刷分から値上げされているのだそうです。

いま楽天ブックスとAmazonとで検索してみたところ、楽天ブックスでは2巻のみが税込410円(旧価格)で、他は420円、Amazonでは2巻と17巻のみが税込410円の旧価格で、他は420円になっていました。きっと、旧価格版が売り切れて新価格版が入荷した際に表示定価も直してるんでしょうが、楽天で420円で売っている17巻とAmazonで410円で売っている17巻のISBNを見てみたら、どちらも同じようなんですよ。

こういうのって、ありなの?

コミックは、いわゆる単行本とはたしか扱いが違うんでしたよね。雑誌なんかと同じような扱いなんだっけ? よくわからないんですけど、書名もカバーもISBNコードも同じなのに定価だけが違う本が同時に存在するというのが、うまく想像できないのですよ。

書店さんも読者さんも、混乱するんじゃないだろか。

ビジネス書でも、見た目はほとんど「増刷」で、カバーデザインもほとんど変わらないのだけど、ISBNコードは新しい番号をつけて、定価を少しあげたりすることはあります。場合によっては書名のそばにひっそり「新」とか「改訂」といった文字をつけたしたりもして。

つまり、見た目はかぎりなく「同一商品の増刷版」に見えても、データ登録上は「まったく別の本」扱いにするのがお約束事項なのだろうと思ってたのだけど、少なくともコミックの場合はISBNを変えない=同一商品のまま「定価だけ変える」ことが可能ということなのでしょうね、きっと。もしかすると、コミックだけでなく、ビジネス書とかでも制度上はそういうことが禁止されてはいないのかしら。

たとえば、定価1200円のよく売れている本があったとします。仮に、その本の定価がもう100円高い1300円だったとして、その100円の差で実売数が大きく下がるかというと、そうでもないんじゃないかと思うこともあるのです。商品にもよるけれど。であるならば、増刷のときに価格改定をして1300円にできれば、会社として売上面で助かるよなぁと思うわけで。定価表示があるのはたいていカバーだけだから、カバーだけ印刷してかけ替えるのでもいいな。

このときにISBNを変えて「新刊扱い」にしてしまうと、書店さんの棚に在庫がある旧コードのものがいかにも「古い本」のように思われてしまい、返品の筆頭候補に挙げられてしまいそうです。とくにビジネス書の場合。いまは問屋さんも書店さんもきちんとデータ管理してますからね。それに、書籍本体にはISBNが記載されているので、古い版に新しい版のカバーをかけて再出荷することもできない=旧コード版は断裁するしかない。

だから、コードはそのままで、書店さんに気づかれずにひっそり(^^;)と定価を上げられたら、出版社的にはラッキーな感じなんだけどな。書店の棚に残っている旧コード商品は旧コード商品できちんと売れていき、補充および新規注文時には新コード品が納品されることで、まとまった返品を受けるリスクが避けられるし、仮に旧版が返品されてきてもカバーを架け替えるだけで新定価として出荷できる。

でも、やっぱ売り場が混乱するよねぇ。価格違いの存在に気づいたお客さんからのクレームも発生しやすそうだし。それを考えると、まったくの同一商品(同じISBN)のまま、増刷時に価格だけ変えて出荷するってのは、やっぱやれないなぁと思う。少なくとも、うちみたいな中小出版社がやったら書店さんにめっちゃ嫌がられて以後の商売がすごくやりにくくなりそう。やっぱり大手出版社の超人気商品だからできることなんでしょうね、きっと。いろいろな意味で。





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2008/01/18

本も「売り切り」「再発」を繰り返せばいいのかもしれない

紀伊國屋さんチェーンの月間書籍実売データを見てたんですよ。出版社ごとの実売数上位50点の一覧表を。うちのデータだけでなく、いわゆる「ビジネス書出版社」と呼ばれる他社さん数社のデータも一緒に。

上位50点に入る本って、ほとんどここ1年くらいのあいだに出た本なんですね。

当たり前といえば、当たり前です。普通に考えれば発行初月から数ヶ月の本のほうが、1年も前に出た本よりは売れるわけですから。初月に数千部の注文出荷があった本でも、2~3ヵ月後にはよくて半分くらいの注文数になり、半年後には数百部、場合によっては数十部なんていう残念な結果になることだってあるわけです。

そして、こう書房だって年間40点弱の新刊を出してますし、他社さんではもっと発行点数の多いところもあります。そうであれば、上位が発行1年くらいまでの本で占められて当然。むしろ、数年前の本が多く上位にリストされるということは「ちゃんと売れる新刊が出せていない」ことの証明にもなってしまうわけで、そっちのほうがまずい感じです。

でね、売上上位数点の実売数と、リストのいちばん下のほう、売上ランク40~50位くらいの本の実売数を見てみるとですね、歴然たる差があるわけですよ。20倍、30倍、場合によっては50倍以上の差があったりします。

もうね、売上順位40番目くらいの商品は、多い出版社さんでも40冊くらいしか売れてないわけですよ。ほとんどの出版社さんは20冊程度。10冊以下のところもあったりします。

これ、月間で、ですよ。しかも、「オール紀伊國屋月別ベストセラー」ってことは、紀伊國屋さんのチェーンまとめての数字ですよね? あの巨大チェーン、あの紀伊國屋書店の、しかもチェーンまとめても、月に10冊しか売れないなんて...

発行後半年くらいまでの本はおおかた、数十冊、数百冊単位で売れているんです。でも、それより前の本になると、いくつかの例外を除いて、がっくり落ちてくる。

これも、しょうがないですよね。だって、毎日何十冊、何百冊という新刊が発行され、書店さんに届くわけですから。書店さんとしては、新刊だからとりあえずは展示したい(しなくちゃいけない)だろうし、かといって棚のスペースは限られているから、来たものをただそのまま出すというわけにはいかないでしょう。

どの書店さんも、チラッと見ただけで、すでに棚にはぎっしり本が詰まっているのがわかります。ということは、新しく来た本を展示するためには、それと同じ分だけいまある本を返品しなくちゃなりません。

では、どれを返品するか。そりゃ、動きのあまりよくないものが上位候補になりますよね。そしてたいていの場合、本の実売数は右肩下がりに減っていくので、2か月前に出た本よりも半年前、1年前に出た本のほうが動きがよくないわけです。

こうしていっそう「新刊しか売れない(積極的に売っていない)」状況へと進むわけで...

本って、以前は「増刷を繰り返して利益を得る」「ベストセラーだけでなくロングセラーを狙う」という考え方が出版社にあったのだけど、もう、それって無理になってきてるような気がします。出版社にも、書店にも、ロングセラーを育てケアする余裕も体力もなくなっているんじゃないかと。

もちろん、なかにはちょっとした弾みでロングになる本もあるだろうけれど、そういう商品はもうレアケースなんじゃないかと。出版社や書店が各商品にかける通常の労力と情熱と資金で商品がロングセラー化することは、ほとんど期待できないんじゃないかと。

でね、思ったんですよ。新刊しか売れないんだったら、新刊しか売らなければいいんじゃないかって。どうせ発行後数ヶ月~1年程度のものしかきちんと売れないのなら、増刷を繰り返すとかロングセラーを狙うという考え自体を捨てちゃったほうがいいんじゃないかと。

どんな本も基本的に初版で売り切り。よほど大きな実売が出ているなら別だけど、それ以外は、多少の売り損じがありそうな感じがしても、増刷すればうまくいくかもなんていう夢は見ずに、潔く「品切れ」にしちゃう。どうせ数週間~数ヶ月すれば返品が来るのだから、それまでは品切れにし、それでもどうしても「ほしい」という書店さんには返品で対応。もし、思ったよりも返品がこなかったら、それはそれでOKと。そうして、その商品については1年以内に社内在庫を全部吐き出し(確実に吐き出せるだろうと思える分しか初版を刷らない)、2年以内に市場在庫(新刊書店の棚にある在庫)もなくなるようにする。

そうやって「売り切り」にしていった商品のうち、成績のよかったものに関しては3年後(市場在庫がなくなった1年あと)に、中身はそのまま(印刷用のフィルムを流用)、ジャケットだけ(場合によっては書名も)新しくして、「新刊」として発行する。もちろんこれも、その後は「売り切り」にし、1年で社内在庫を全部吐き出す。このときも満足のいく成績が出たなら、また3年後に、また新しいジャケットで新刊として「再発」する。

ジャケットを新しくする以外は「増刷」と同じなので、制作費も制作の手間も、それほどかかりません。これを繰り返せば「増刷を繰り返す」とほぼ同じなので、利益が出てくるようになるはず。

しかも扱い的にはあくまでも「新刊」なので、書店さんもきちんと展示しないわけにはいかない(^^;)? お客さんも、新刊以外にまで注意をはらっている余裕がある人は少ないから、増刷して「既刊」のまま棚においておくよりも手にとってくれる確率、買ってくれる確率が増えるはず??

ポイントは、市場在庫がなくなって少し間をおいてから復刻する、ということ。市場在庫があるうちに復刻すると、復刻前のものが一気に返品されてしまい、利益を圧迫します。市場在庫がなければ、復刻しても返品の危険がなくなります。

しかも、成績のよかった本であればきっと、「あの本、評判がよかったので読みたかったのだけど、最近は売ってないんだよな。あのとき買っておけばよかった。失敗したなぁ」と思ってくれる読者もいるはず(超希望的観測)。ほしいのに、手に入らないという渇望感を与えられます。そんなときに「あの名著がジャケットを新しくして復刻」のアナウンス。今度はなくなる前に買っておこうと、購買意欲がアップすると(これ以上ないほどの楽観的観測)。

どうでしょう(^^;)。こうすれば、出版社は新刊点数をそろえるために無理な企画を無理やり本にすることもなくなり、ちゃんと売れる(売れた)本だけを「新刊」のラインナップに入れていくことができます。新規企画は「売れなかったために復刻できなかった商品数分」だけつくればよく、結果として1企画にかけられる時間も増えるはず...?

これって、音楽業界での洋楽アルバム販売のやり方ですよね、たぶん。

人気アーティストのアルバムでさえ、超ベストセラー・ロングセラー以外はイニシャルで売り切り。数千枚の初回プレスが市場からなくなったら、そのあとしばらくは品切れ・廃盤です。そしてしばらくして、紙ジャケットだとか、新ライナーノーツとか、ちょっとだけ見た目を変えて復刻発売する。「待望の紙ジャケ!」とか「あの名盤がやっと手に入る!」とか適当なあおり文句の宣伝をつけて。

そして、それにつられてふらふらと買ってしまうファンも意外と少なくなかったりして。特定のアルバムについてすべての復刻盤・再発盤を持っている人って、実際にいますし。

それに、毎年のように発生する「新しく洋楽を聴く人になった人」は、そうした「復刻・再発のアナウンス」で過去の名盤に触れ、新たにそのアルバムやグループのファンになっていっくことがあったりする。そうやってロングセラー化していくのですよね。

本もね、同じような考え方って、できないかなぁと。新しい企画、新しい本をつくっていくことはもちろん大事だけど、新しい本だけをつくり続け、市場に投入し続けなくちゃいけないっていうこだわりは、捨ててもいいかもしれないなと、ちょっと思っているのです。そこにこだわるから、「新しい本」にするために実は新しくないテーマや内容に無理やりのアレンジを加えなくちゃいけなくなったりする。せっかくの良書にも、「リニューアル」や「リメイク」の名のもとに余計な手を加えてしまう。結果、いびつな本や中途半端な本ができあがってしまったり。

それよりも、過去に読者に喜ばれた本を内容はそのままに、装いだけ変えて再投入するほうがいいんじゃないかと。リニューアルやリメイクでヘタに内容に手を入れてせっかくの完成物を壊すよりも、手を入れるのは「見た目だけ」にして、新刊として新しい読者(となるであろう人)の前に再登場させたほうがいいのではないかと。そういう本がもっと新刊扱いで書店に再度入荷されることがあってもいいのではないかと。その分、無理な企画や内容の「新しい本」の点数を減らすことができないかと。

けっきょくそれが、よい本を長く読み継いでもらえる=ロングセラー化につながる道のひとつなのかもなぁと思ったりする今日この頃なのです。





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2007/11/14

せんべいのそばでキャラメルを売る、働きマンのそばでディズニーを売る


何ヶ月か前に読んだニュース。

森永製菓が商品の「ミルクキャラメル」を、それまでのチョコレートやキャンディといったスナック系洋菓子の棚だけでなく、せんべいやかりんとうなどの和菓子の棚にも置きはじめたらしい。

これまでは、キャラメル=スナック系洋菓子だから、ジャンル的に近いと思われるキャンディやチョコレートなどのスナック類が置いてある棚で販売してた。でも、「ミルクキャラメル」を好んで食べるのは若い人でなく、実は50歳代以上の購入者が半数以上だということがわかったそうだ。

チョコレートやキャンディの棚に来るのは、主に若い世代。年配のお客様は、めったにこの棚には来ない。それではお客様の目に触れない、買ってもらえない。

それでは、年配のお客様が立ち寄りやすい棚は? そう、お菓子なら、おせんべいやかりんとう、ようかんなどが置いてある棚。あるいは、日本茶などが置いてある棚。ならば、そこにもミルクキャラメルを置こう。

その結果、店舗によっては売り上げ前年比が4倍に増えたんだそうです。

お店にいっても、店内をすみからすみまでくまなく見てまわるなんてことは、あんまりしませんよね。行きつけのお店だと、とくにそう。見る棚は、だいたいいつも決まってる。なので、その棚にない商品は、そのお店自体にないのとたいして変わらない。

だけどお客さんは、ふだんよく行く棚のもの“だけ”しか買わないわけじゃありません。ほかの棚も見るという余裕や意識が弱いだけで、ほかの棚にある商品のなかにも見かければ買いたくなるものはいっぱいあるはず。

だから、売り手・つくり手の理論で「ジャンル分け」した商品展示をするだけでなく、それを買う人が興味を持ちそうなものをジャンルにこだわらず隣接展示することで、新たな販売機会が生まれることも少なくないわけです。

そういうの、スーパーマーケットとかは上手ですよね。肉、野菜、調味料とジャンル分け展示が基本になっているけれど、寒い日は肉と野菜と調味料を少しずつ1箇所に集めて「お鍋の材料棚」をつくったりする。遅い時間になったら惣菜屋お弁当とドリンク、おつまみなどを1箇所に集めて「お仕事おつかれさまの夜食コーナー」をつくったりする。

Amazonなども、上手ですね。本を検索すると、検索した本の関連書籍だけでなく、過去にその本を買った人が一緒に買った本をジャンルに関係なく表示する。イタリア料理の本を買った人はイタリア料理だけに興味があるのではなく、お料理全般が好きかもしれないし、イタリアワインも好きかもしれない。イタリア語も勉強したかったり、イタリアの音楽や映画、文学、絵画、教会建築、その他もろもろも好きかもしれない。

その商品が、それを買う人の購買テーマのなかの、どんな部分に位置づけられているか。そういうイメージを持ちながら商品展示を考えるのは、きっと楽しいだろうな。


東京・渋谷にあるブック・エキスプレスという書店さんでは、大人気でドラマ化もされているコミック『働きマン』の横に、『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)も置いてくださっているのだそうです。

一生懸命働くことが大好きな『働きマン』の主人公。このコミックを読む人は、きっと「一生懸命働く」ということにたいして肯定的な意識を持っていらっしゃる方が多いでしょう。そういう読者ならきっと『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』も興味を持って読んでくれるはずです。なぜなら、この本にも「ときには辛いこともあるけれど、一生懸命働くことは楽しいし素晴らしい」というお話がたくさんあるからです。

そして実際、その場所から『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』を買っていってくださるお客様が、たくさんいらっしゃるのだそうです。

コミックの棚にくるお客さまは、ふだんはビジネス書の棚にはいかないかもしれません。これまでにたくさんの方が読んでくださったこの本ですが、コミック棚のお客さまは初めてこの本の存在を知ったかもしれません。そして、興味を持って、手にとり、買ってくれたかもしれません。そしてこの本をきっかけに、コミックだけでなく、活字の本のおもしろさも知ってくれるかもしれません。

『働きマン』の横に『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』を置く。これ、うちの営業担当者がお願いしたんじゃないのだそうです。売り場の担当さんが、この読者はきっとこれも気に入るに違いないと考えて、独自の判断で置いてくださったのだそうです。さすがです。


自分が営業部配属だった十数年前、書店の棚、とくにビジネス書の棚は、出版社ごとに分けて商品が展示されていました。当時、明文図書という専門書の問屋さんで都内の某大型店を担当されていた方が、新人営業マンだった私に教えてくれました。

「あまろ~ねくん、スーパーとかコンビニとか見てごらん。おかしの棚を見ても、グリコはグリコ、明治は明治、森永は森永なんて、メーカーごとに展示しているお店なんてないよね。チョコレートはチョコレート、クッキーはクッキーの棚にあるじゃない。なのになんで書店は、本の内容に関係なく、出版社ごとに展示してる。これじゃダメなんだよ。お客さんにとって、出版社がどこかよりも、なんの本なのかのほうが大事なんだから」

いま、多くの書店さんでは、本のテーマや内容ごとに棚が分けられるようになりました。あの担当さんは、いまだったらなんていうでしょうか。

「商品のテーマや内容ごとの展示なんてあたりまえなんだよ。スーパーとか家電量販店とか見てごらん。お客さんのライフスタイルや興味の広がりに関連付けた棚づくりをしてるだろ? 商品アイテムが多いから、組み合わせや楽しみ方の提案であらたなお客さんにアピールしてるんだね」

渋谷のブック・エキスプレスさんのようなお店(担当者さん)が、もっと増えるといいな。





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入社員教育は、内定段階から始まっています。これから4月の入社時期までに、内定者たちに対してなにをすべきか。4月にむけて教育担当者が準備しておくべきことはなにか。

新社会人たちの未来は、内定期間中の教育および入社からの3ヶ月間にかかっています。真剣に「新入社員を育てたい」あなたが読むべき本が、ここにあります!

カバー写真
『新入社員が劇的に成長する3か月プログラム』



楽天ブックスで買う
Amazonで買う

ちょっと大げさでしたかね(^^;)。




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2007/11/07

消費行動のパターンがわからん


本を買った人って、「買おうかな」と思った本の情報をどこで仕入れたのだろう?
書店の店頭で?
クチコミ?
テレビ、はないか。雑誌や新聞の紙媒体?
Blogやメルマガなどのネット経由?
知人・友人からのクチコミ?

「買おうかな」と思った本を「買おうかな」と思わせた要因はなんなのだろう?
テーマがいいから?
その著者のファンだから?
カバーがよかったから?
タイトルがおもしろそうだったから?
すでに話題になってるから?
誰かが「いい」といったから?

「買おうかな」という思いが実際に「買う」という行動に変わった要因はなんなのだろう?
文章内容?
著者のネームバリュー?
価格?
持ったときの質感?
誰かの推薦・賞賛?
衝動的に?

こういう本をつくれば、こういうような人たちが読んでくれるはずだ。
こういうような人たちのために、こんな本をつくりたい。
そういうことは、考える。

でも、それって商品と消費者をあまりに直線的かつ最短距離で結び付けた考え方のように思える。

読者のいそうなテーマを選んで本をつくり、書店の店頭に置く。それを読者が買う。そんな直線的かつ最短距離の結びつきで、本の多くが買われているのだろうか?

ある商品の存在を消費者が知り、興味を抱き、実際の購入行動へと至るまでには、物理的な、心理的な、いくつかのプロセスがあるはず。その、それぞれの段階で、適切なアプローチや動機づけを消費者に対してする。そうすることで、ゴールである「購買活動」への到達度を上げる。おそらく、多くの商品販売の世界で、当たり前のこととして考えられていることのはず。

本の場合も、存在認知から購買のあいだには、何段階ものプロセスがあるはず。書店で手にとり、購入するというのは、そのなかのほんの一部分ではないのか? もっと全体のプロセスを見て、各段階でのアピールや動機づけの方法を考えたほうがよくはないのか。

だけど、書籍の場合に、消費者はどんなプロセスを踏んで購買に至るのか。そのプロセスが、そのプロセスパターンが、自分にはわからない。





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預かり資産セールスでも、消費行動パターンの段階ごとにプロセスをきちんと踏める人が「成果をあげるトップセールス」になれる。そのプロセスを解説したのがこの本。

カバー写真
『投信・個人年金セールス実践マニュアル』

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「本」と「読者」の間の購入プロセスをきちんと分析・解説したわかりやすい本って、どこかにあるのかしら...





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2007/10/25

自分はパッケージを買うけれど


大物バンドが仕掛けたネット販売に音楽業界が激震!?(日経トレンディネット)

こういうことって、いずれ出版の世界でも起きると思う。というか、すでに起きはじめているのだろう。

欲しいのはコンテンツそのもの、内容そのものだとするならば、それが既存のパッケージの形でなければならない理由はない。既存のパッケージという、ある意味で「特殊な形」に押し込むことを考えるから、パッケージ製作の設備やノウハウを持っているところと組まねばならず、その設備やノウハウの利用料も払わなければならない。

でも、コンテンツの受け手にとって入れ物自体はなんでもいいなら、無理に既存のパッケージに押し込む必要はない。コンテンツそのものが、よい状態で手に入れられるなら、どのような形で入手してもかまわない。

物理的な形のないコンテンツそのもの。
コンテンツを扱いやすくするためのパッケージング。
パッケージング自体をもうひとつのコンテンツとして付加価値を持たせたもの。

同じコンテンツの提供方法でも、いろいろな形があっていい。提供にかかる手間ひまや費用などにあわせて、いろいろな売価で売ればいい。

自分は音楽ファンで、毎年たくさんの音楽を買うけれど、やっぱりCDかLPで買ってしまう。プレイヤーの上で円盤がまわっていないと、なんだか寂しいから。でも若い人たちはとくに気にせずダウンロードで音楽を買い、携帯プレーヤーどころか携帯電話で聴いたりしてる。もし自分が彼らと同じ世代だったら、そういう購買行動にも音楽の楽しみ方にもさほど違和感を感じないだろう、きっと。

古い世代だから、いまもパッケージで購入するけれど、パッケージ自体がない販売スタイルに若いころから慣れている世代だったら、コンテンツによってきっと購入する形を変えていたことだろう。

本が「本という形」でなくてはならない、そうであってほしい、と感じる気持ちは、これに似てるのかもしれない。乱暴にいってしまえば、けっきょくは「慣れ」の問題かと。

人間はどんな環境にも、いずれ慣れてしまうといったのは、ムルソーだったかな。




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またまた増刷が決まりました! 発売から2か月経たないのに第4刷、20000部突破です!!


カバー写真
『銀座流 売れっ娘ホステスの会話術』

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男の話は、目で聞く。言葉ではなく、声に耳に澄ます――。
これはいったい、どういう意味? ここに「男が魅せられる」秘密が!



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2007/10/23

「本来の棚」でないところでも売ってくださりありがとう

カバー写真『サービスマインドをたかめる物語』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)がですね、おかげさまで新宿の紀伊國屋本店さんで売れ行きが好調なのです。営業部Kさんの日報に書いてありました。

さて、紀伊國屋本店さんといえば、とっても大きな書店さんです。そこで売られている本は、細かくジャンル分けされ、ジャンルごとに棚に入れられ、展示販売されています。大雑把に「ビジネス書」とひとくくりできる本でも、「独立・起業」だとか「自己啓発」だとか「リーダー・管理者もの」だとか「経営」だとか「セールス」だとかその他もろもろにジャンル分けされ、それぞれのジャンルを扱った棚で売られます。

ここで問題です。Kさんの日報に「売れ行き好調!」と書かれたこの本、紀伊國屋さんのどこの棚で売られているでしょうか?

チッチッチッチッチ.... はい、時間切れ。

この本は、タイトルからもわかるとおり、いわゆる「ビジネス書」で、多くの書店さんではビジネス書のなかの「接客・サービス」などに関連した棚で売っていただいているようです。また、レストランを舞台にした読み物じたてになっていることもあり、「飲食店の経営・運営」に関連した棚に入ることもあるようです。

ビジネス書ジャンルの「接客・サービス」や「飲食店の経営・運営」に関した棚。これがいわば、この本にとっての「本来の棚」です。紀伊國屋本店さんでも、こうした棚で主に売られています。

ところがところが、Kさんが日報で「売れ行き好調!」と報告しているのは、実はこうした「本来の棚」での売れ行きのことではないのです。

6階の「料理」のコーナー。

そうです、ビジネス書コーナーではない、いわゆる一般書・実用書などと呼ばれるジャンルのなかの「料理」に関係した本を展示・販売するコーナーで、この『サービスマインドをたかめる物語』がよく売れているというのです。最近ではむしろ、ビジネス書コーナーでよりも料理書コーナーでのほうが売れているかもしれないくらいに。

この本は、レストランを舞台に、従業員がいかにして「接客サービスの心」を大切に育むか、というのが大きなテーマになっています。ですので、サービス業、接客業に従事する人のなかでも、とくに飲食業のホールで働いている人にもっともアピールしやすいないようだと思います。

飲食業関係のビジネス書は、主にビジネス書の棚にコーナーがあり、そこで売られることが大半です。そして、そういうコーナーに置かれる本の多くは、独立開業のしかただったり、コンサルティング的な立場からのメニューづくりを解説したものだったり、店舗運営マネジメントに関する実務書だったりします。

もちろん、そういう本は大切ですし、そういう本に対する需要もあります。これからお店を始めたい人は独立開業の本を読むでしょうし、すでに店舗経営・運営をしている人はマネジメントやメニューのABC分析に関した本なども読むでしょう。

でもね、実際に現場で働いている人が、そういう本を展示してある棚にどのくらいの頻度で行くかというと、そんなに高くないと思うわけです。独立開業の本も、マネジメントやABC分析の本も、ある特定の時期に集中して棚前に行き商品を物色しめぼしいものを購入したら、その後はめったに来ない、ほとんどこないんじゃないかと。

ところが、料理本のコーナー。

お客様に飽きられないレストランであるために重要であるけれどとくに個人店・小規模店にとっては難しくたいへんであることのひとつが、メニュー改訂なんです。新メニューを開発し、既存メニューの一部と入れ替える。それを定期的に、できれば年4回、季節ごとに行なう。これってすごく大切です。

だけど、難しいんですよ。新しい料理のアイデアをひねり出すのって。

そこで、多くの個人店はどうするか。料理本のコーナーに行くんです。料理関係の雑誌を見たり、さまざまな料理のレシピが掲載されている本を読んだり。「自店でこれまであまり出したことがないような料理」が載ってそうな本を、定期的に見るわけです。そうすることで他店での人気メニューや最近のヒットメニューの傾向などを感じていくわけですね。

だから、「料理書」のコーナーにはけっこう頻繁に訪れるようです。飲食店従事者の方が。おそらく、ビジネス書ジャンルの「飲食店」コーナーよりも何倍も頻繁に。そしてこの『サービスマインドをたかめる物語』は、飲食店従事者の方にもっともアピールするであろう本なわけです。なので紀伊國屋さんでもきっと、料理書コーナーでの売れ行きがとてもいいのでしょう。

目的外とは少し違う、「ついで」買い。別の目的である場所へ行ったら、目的のものとはあまり関係ないけど「自分にとって興味のあるもの」がその場書に置いてあったので、ついでに手にしてしまった、みたいな感じでしょうか。

「目的」で分類するのは大切だけど、それを必要としたり興味を持っている「人の集合」で分類するのも、けっこう大切なんだよね。それを理解し、「本来の棚」でない場所にも置いてくれた紀伊國屋本店さんに感謝。そしてたぶん、それを紀伊國屋さんにすすめてくれたのであろう営業部Kさんにも感謝。そしてもちろん、この本の存在に気づいて買ってくださったお客様にもメガ感謝。





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まもなく増刷が刷り上ってきます!

女性向けエッセイ書のコーナーでとてもよく売れてるようです。
若いOLさんや女子学生さんなども買ってくださっているらしい。


カバー写真
『銀座流 売れっ娘ホステスの会話術』

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2007/10/19

「売れそう」と「おもしろそう」

もうずいぶん前のことだけど、「帰ってきた炎の営業日誌」に杉江さんが、企画アイデアを前にしたときの反応について書いていたことがあった。正確には覚えていないのだけど、おおよそこんな感じだったと思う。

杉江さん「この企画、売れそうですよね」
編集者「うん、おもしろそうだね」
杉江さん「おもしろいですよ、きっと売れますよ」
編集者「うん、おもしろそうだ」

以下、杉江さんがいくら「売れそう」「売れる」といっても、編集者はけっして「売れそう」とはいわず、「おもしろそう」を繰り返すばかり。

営業マンである杉江さんは、その企画が本になったときに「売れるかどうか」に興味の多くがいくのに対し、編集者は「本としておもしろいものがつくれるかどうか」に興味の多くがいく、そこに営業マンと編集者の、企画に対する評価の違いを感じる...

こんなようなことが書いてあったと記憶している。

そういうのって、あるよなぁ、やっぱり。

そりゃ、おもしろそうと思った企画が実際に「おもしろい本」になり、そのうえ「売れる本」にもなるのがいちばんだけど、そうそういつもうまくいくわけではない。

「おもしろい」と「売れる」の両方は難しいけど、どちらか片方ならいけそうなことはある。そのときに、「おもしろいけど、あまり売れなさそうな本」と「おもしろくないけど、売れそうな本」のどちらかを選んでつくれといわれたら、やはり自分は前者を選んでしまうだろう。

だけど、商売的には後者を選ぶべきなんだよな、きっと。「おもしろい」という判断基準をどう考えるかも難しいし。

ちなみに、うちの会社のトップ(創業者で前社長・現会長)は、ビジネス書の発行・販売にかかわる業界人ならおそらく誰でも知っているであろう某大手出版社で編集長を務めたことのある、いわば生粋の編集者。そして、もうひとりのトップである現社長は営業部長を経て社長に就任。

社内で検討される企画は、編集長、社長、会長の評価・判断を経て決裁されるのだけど、そこにもおぼろげながら「編集=内容重視」「営業=売れそうな匂い重視」の傾向が感じられる気がする。

いまのところ、人数的にも(編集2名 vs 営業1名)、年齢的にも(会長>編集長>社長)、在籍年数の点でも(会長>編集長>社長)、編集側が優勢な感じで(そもそも創業者である会長の発言力・影響力だけで5人分くらいありますし。笑)、評価・判断もそういった感覚が少し上回っているかなとそこはかとなく感じられる決裁もときどきあったりします。

これがもし、営業あがりの社長がもっと強い発言力と影響力を持ち、営業的な評価・判断=売れそうな匂い重視の決裁が優勢になったら、もしかしたらもっと儲かる会社になるのかもしれないという気がしなくもなし。制作者としてはつらい感じになりそうだけど(^^;)。

きっとなぁ、あの企画とか、あの企画とか、会長は楽しみにしてるっぽいけど、社長は心配してるんじゃないかなぁとか思ったりするわけですよ。

本のつくり手側にいたことのない社長の感覚って、やはり本のつくり手側にはいない一般消費者の感覚により近いような気がして。だから、細かい内容説明をする前の、おおまかな趣旨紹介の段階で社長が「売れそうな匂い」を感じるかどうかって、もっと重視したほうがいいかもなぁとか思っている今日この頃なのです。





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まもなく増刷が刷り上ってきます!

女性は、男心をガッチリつかむための実践的なテキストとして。

男性は、自分の持つ男性心理の確認し(そういえば、そうだなと思う指摘がたくさん)、女性との良好な関係づくりの参考に。


カバー写真
『銀座流 売れっ娘ホステスの会話術』

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2007/10/05

本を手にする人には

本を読みたい人と
本を買いたい人が
いるのかな

もちろん
読みたいから買う人もいるし
買ったものを読みたい人もいるだろう

読みたいからと本を買っても
買っただけで読まないこともある
だとしたらそれは
本を読みたかったのではなく
本を買いたかったのだろう

買ったものを読みたいと思って本を買っても
買っただけで読まないこともある
そしたらやっぱりそれは
本を読みたかったのではなく
本を買いたかったのだろう

本を読みたい人は
買っても読むし
借りても読むし
もしかしたら拾っても読むかもしれないし
手元にある本をまた読み返すかもしれない

本を読みたい人と
本を買いたい人が
ともに同じ数だけの本を手にしても
手にするためにお金を出して買った冊数は
ずいぶん違うのじゃないだろうか

商売を考えるなら
本を読みたい人が読んで楽しめる
深い考察や洞察があり
発見があり
読み応えのある
しっかりした文章や内容を追求するより
本を買いたい人がつい買いたくなる
奇抜だったり
旬だったり
共感しやすかったり
わかりやすいテーマやタイトルを
あるいは認知度の高い人気著者を立て
楽に短時間で読める文章や内容を追求するほうが
いいのかもしれない

買ってさえもらえれば
読んでもらえなくてもかまわない
それが本音

読んでもらえるなら
読んでよかったと思ってもらえるなら
たとえ買ったのでなくても
どんな出会い方をしたのであっても
うれしい
それが本音





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★☆ キャンペーンまであと5日! ☆★

カバー写真自分が担当した本じゃないですが、もろもろの事情でここでも告知。

10月新刊『鏡の魔法で自分まるごと好きになる』を10月10日(水)にAmazonで購入してくださった方だけに特別に、著者さんから3大特典のプレゼントがあるそうです。

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聖書に書かれている「お話(物語)」のなかから、ドラマとしておもしろいものや、西洋の映画や小説、絵画などといった文化作品によく引用されたり暗喩として使われたりするようなものを50個ほどピックアップし、それを3ページのコマ割りマンガでおもしろおかしく読めるようにしました。

カバー写真『マンガで楽しむ旧約聖書』

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カバー写真『マンガで楽しむ新約聖書』

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2007/10/01

構成力とストーリー性で濃縮果汁還元


「新・秋嶋書店員日記」より。


本に書かれていることはすでに過去のものである。

しかし、それを読むひとにとっては未知のものである。

(新・秋嶋書店員日記「本に書かれていること」)


そう、文字として書かれた時点ですでに過去のもの。過去のものが書かれた原稿を、時間をかけて紙に印刷し、本という形に整え、発売する。書店の棚に並んだ時点で、そこに書かれていることはすごく過去のものだったりするのだな。

過去のものだけど、それを読む人にとっては未知のものであるかというと、最近はそうでもないかなぁと思うことが多かったりして。とくにビジネス書の場合、テーマ的にも、内容的にも、まったく未知のものに出会うことは、そんなにないような気がする。

なにがしかの「未知」があるとしたら、それはテーマや内容そのものではなく、見せ方なんじゃないかしら。

「モチベーションは楽しさ創造から」というBlogの「ブログと本を上手に使い分けた学習法 ネット時代だからできる贅沢」というエントリに、「Blogでエッセンスを知り、本で文脈を学ぶ」という言葉がある。

そう。テーマや内容そのもののエッセンスは、わざわざお金を出して本を買わなくても、無料のBlogで知ることができてしまったりすることが多いのですよ、最近は。だから、エッセンスを文字にして紙に印刷し本に綴じても、読む人にとって「未知のもの」にはなかなかなりえないのですね。

ビジネス書はこれまで、さまざまな優れたスキルや有用な知識を持った著者さんに、そのエッセンスを凝縮して簡潔に文章化してもらい、読者に提案するというのが基本スタイルだったのではないかと思います。というか、自分はそう思ってました。

でも、エッセンスの羅列じゃ、商品としてはもう駄目なのですね。そのエッセンスたちをいかにコンセプト付けしていけるか。孤立したエッセンスとしてではなく、そのエッセンスの元である概念等を読者の頭の中や気持ちの中に上手に染み渡らせることができるか。そういうことが必要なのでしょう。

それを可能にするためにも、著者さんには、そして編集を担当する者にも、構成力とか、ストーリー展開力とかって、重要だよなぁと思うわけで。

エッセンスそのものを物語化する、あるいは、エッセンスの並べ方やそこへの肉付けのしかたで読者さんに「物語」を感じてもらえるように構成する。そうやって「ストーリー」として読者さんの気持ちにすぐに素直に直接的に伝わるようなかたちで届けないと、なかなか買ってもらえないのかなぁと。

これってたとえば、以前は濃縮果汁をつくれるのがメーカーだけだったので、それをつくって売ればお客さんに喜ばれたけれど、いまは誰もが濃縮果汁をつくり無料で配れるようになっちゃったので、むしろそれを上手に濃縮果汁還元飲料に加工することがメーカーには要求され、お客さんも手軽に飲めるそれを喜ぶ、みたいなことかもしれない。

わかりづらいな。

以前はカルピス原液がそのコストパフォーマンス等から喜ばれたけれど、最近は原液をおいしい水と絶妙な配合バランスで混ぜ合わせすぐに飲める状態になっているカルピスウォーターのほうが喜ばれることが多い、みたいな? よけいわかりにくいか。

まだBlogでは、そうした意識やスキルが成熟してなさそうだから、それができている本は、対価を払って入手する理由になりそう。そうした「見せ方」が「未知のもの」として、本を買う理由になるのかも。でもいずれ、Blogにもそういう流れはきそうだな。

ちなみに、本にも「1つのエントリに対して、見えない文字数の制限」はあると思いますよ。本は1冊全体が1つのエントリなのではなくて、いうなれば、いくつかのエントリの組み合わせですから。





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日本郵政公社は投信の販売開始からの約2年間で、純資産残高が1兆円を突破したそうです。いよいよ郵政民営化がスタートし、それにあわせて投信の販売局数を3割増やす方針だとか。

郵便局にお勤めのみなさん! どうしたらお客様に投信をもっとたくさん購入していただけるか、その上手なセールス方法を知りたいと思いませんか?

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2007/09/27

本で伝えられることって

けっきょく言葉・文章にできることだけなんですよね。

たとえどんなに素晴らしい知識があっても、どれほど蓄積された経験があっても、実務のなかで研ぎ澄まされた勘があっても、それを文章に、言葉にできなければ、本にはなりません。

でも、本当に大切で役立つことの多くって、とくにビジネスパーソンを読者さんと想定した「ビジネス書」で扱うようなテーマでは、実は「文章にはできない部分」にあるように思うのですよ。知識と経験の蓄積のなかで研ぎ澄まされた勘を刻々と変化する状況の中でフルに活用する、いわばライブ感を身につけることこそが、とても大切なのではないかと思うのだけど、ライブ感は、ライブをいくつもこなさないと身につかないんですよね。

楽器を演奏する人はご存知だと思うけれど、いくら家で自己練習をしても、貸しスタジオでバンド・リハーサルをしても、実際にオーディンエスの前でライブをやらなければ、ライブ感は身につかない。

本で伝えられることは、こういう練習の方法がありますよとか、こういうところで練習できますよとか、こんなことを心がけるといいですよとかくらい。そしてそれらはどれも「言葉で読んで頭で理解できる」ことだけ。

それでも、読まないよりはましだけど、頭で理解できる知識や情報なんて、本当に必要なこと、本当に大切なことのうちの、ほんの少しの部分だけなんだよなぁ、きっと。

メラビアンの法則でしたっけ、話し手が相手に与えるインパクトは見た目などの「視覚情報」が半分以上を占め、残りの大半を声や話し方などの「聴覚情報」が占める、話された内容そのものの「言語情報」が与える影響は10%にも満たない... ていうの。

たぶん、ビジネスの現場、コミュニケーションの現場でも、そうなんでしょう。なのにそれを向上させる、より良い方向に向けさせることをテーマにした本が基本的に「言語情報」だけで構成されているところに、なんというか、限界を感じるのだよなぁ。

たとえばビジネスノウハウ本やコミュニケーション技術本には、「考え方」や「ヒント」はあるけれど、そうして得た「言葉の情報」が実際の場面ではどれほど役に立つのだろうか。それらの言語情報をどれだけ視覚情報や聴覚情報へと変換できるのだろうか。

そう考えると、対人アクションが必要なノウハウや教育指導に関連した内容は、本ではあまり実効性を持たせられないのかなぁとか思ってしまう今日この頃。それよりも、純粋な「考え方」や「知識」だけのような、言葉だけでほとんどを言い表わせるような内容を扱うほうが、本としては完成度が高くなるだろうし、読者さんにとっても有用で、セールスにも結びつきやすいのかなぁ。





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すでに初版分の在庫がなくなってしまい、現在大急ぎで増刷中です!

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この本を読んだ貴女は、きっと素敵な「会話美人」になりますわよ。


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2007/09/04

アナログレコードのプチプチ音でなんだか穏やかな気分になる... みたいなもんか

なんだか最近、活版印刷に注目が集まりつつあるのだそうです。

へこみ、かすれ…活版印刷 脚光再び アナログが新鮮(Sankei Web 2007/9/3)

わからんではないな。

自分が編集部に異動になったのは1994年の秋のこと。そのときにはすでに活版(活字)印刷は下火で、世の中的には写植の時代だった。商品としては活版時代につくられたものもまだたくさん生きていたので、活版印刷された本を目にする機会はそれなりにあったけれど、自分が本を製作する際に活版の指定をしたことはないし、もともとの意味でのゲラも見たことがない。文字組等の指定は写植、それもすでに電算写植だったので、校正紙はいわばワープロのプリントアウトみたいなもの。手張りの写植は、校了直前の最終校正の際に誤字等が見つかってしまったときに、印刷所でフィニッシュ担当の人が部分的に打ち直したものを上手に貼ってくれたものを見るくらいだった。

電算写植で本をつくってたのは4年くらい。1998年には会社にマッキントッシュが導入され、それ以降の本はマッキントッシュを使ったDTPで製作されるようになった。

写植からMacDTPになって、明らかに文字の持つ色気、本文組版の持つ美しさの一部は失われた。フォントのデザインとか、文字の配置とか、写植時代のほうがすっきりと美しかったよなぁ。MacDTPは、とくに組版ソフトのQuarkXPressに文字組みをまかせっぱなしにすると、非常に美しくない紙面ができあがる。美しく組み上げるには、字間の調整とか、文字種によるサイズの微調整やフォントの置き換えなど、いろいろと手を加えなくちゃいけない。めんどくさいのでやらないけど。

同じ「電算」の写植からMacDTPでもそうなんだから、きっと手組みの活版時代を知る人から見ると、いまの商業出版物なんて非常に無残に見えるのだろうな。なんだか平板で、躍動感や生命感があまり感じられないからね、コンピュータで出力した文字には。

この感覚ってきっと、アナログレコードを聞いて育った人がCDやmp3その他のデジタル音源に触れたときと似てるんじゃないかと思う。デジタル処理された音はクリアで聞きやすいのだけど、なんというか、肌触りがね、どことなく平板な感じがするのですよ。たとえば硬い木を指で押してもへこまないけれど、でもどことなくちょっと弾力を感じる気がするじゃないですか。アナログレコードの音にはそういった感触があるのだけど、デジタル音源は鋼鉄を押してるような、指で押してもへこむはずないし弾力も感じないぞみたいな。

便利さや手軽さの点でデジタルのほうが扱いやすいし気軽だから、そっちが普及するのはぜんぜんかまわないのだけど、たまの休日に「今日はもう音楽を聴く以外なにもしない」と決めて長いことラックにしまいっぱなしだったLPを引っ張り出し何年かぶりでレコードプレーヤーの電源を入れて盤面にそっと針をおろし曲が始まる前のプチプチ音がスピーカーから聞こえてきたときに「あぁ、音楽を聴くって、こういうことだよなぁ」としみじみと穏やかな気分になる感覚。本好きの人にとっての活版印刷って、これに近いのかもなぁと思ったのでした。




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書店さんには明日くらいから並びだす予定ですよー。

0952『銀座流 売れっ娘ホステスの会話術』

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男の話は、目で聞く。言葉ではなく、声に耳に澄ます――。
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2007/08/23

本のちからだけで売れる本って、いったいどれくらいあるのだろう

最近のビジネス書の世界では、売れてる本の多くが、「この人が書けばなんだって売れる」という感じの著者さんの本だったり、本を出す以前からヴァーチャルやリアルの世界にたくさんの「その人のファン」がいる人が書いたものだったり、出版社が標準的に行なう宣伝広告とは別に著者さんの側で数十万円~数百万円単位の宣伝広告がされてたり。

仮にその本が、書名も本文も装丁もまったく同じだけど、これまでに販売実績のあまりない著者さんが書いていたなら、著者サイドの個人的なネットワークがあまりない人が書いていたなら、出版社が標準的に行なう宣伝広告しかされなかったなら、それでもやはりベストセラーになったのだろうか。

いくつかはなるものもあるだろうけれど、ほとんどは、きっとならないんだろうな。

Amazonでキャンペーンを行なうと、それなりに効果が出る。Amazonの売上ランク上位に入るのを見て、その本の存在に気づく人、その本に興味を持ってくれる人、買ってくれる人が、増える。Amazonでの上位ランク入りを実績として見せることで、扱いをよくしてくれる書店さんもある。「売れている本」だということで興味を持ち、買ってくれる人も増える。

ところで、Amazonでのキャンペーンって、たいていは「著者主導」で行なう。キャンペーン告知用のサイトをつくるのも、知人・友人に頼んでBlogやメルマガ等で告知を行なってもらうのも、著者サイドのアクション。出版社は、できる人的手助けはするけれど、キャンペーン用に特別にお金を出したりすることはめったにないし、出版社のために喜んで告知をしてくれるファンなってめったにいない。

そして、告知サイトやBlog等での案内を見て実際に設定した日時にAmazonへ注文を入れ、ランクアップに貢献してくれるのも、その大半はもともと著者さんが持っていた人的ネットワーク内の人。出版社には、キャンペーンに参加して実際の購入アクションを起こしてくれる人のネットワークなんて、ない。

自分の本の宣伝告知のためにそれ相応のお金をかけられて、そのキャンペーンに載ってくれるそれ相応の数の人的ネットワークを持っている人でなければ、Amazonでのキャンペーンは、まずできない。出版社主導でできることなんて、ほぼ皆無。

教育やコミュニケーションの分野では、「なにをいうか」よりも「誰がいうか」のほうが重要と、よくいわれる。本の世界も、たぶん、同じ。「なにが書かれているか」よりも「誰が書いたか」のほうが、売れ行きに大きく影響するのだろう。

大切なのは、本のちからよりも、著者のちから。
テーマのおもしろさや文章のうまさよりも、著者の持つ知名度やネットワークや告知センス。

だから、これから本を、ビジネス書を出そうという人は、まずはヴァーチャルおよびリアル世界で自分自身のアピールにつとめ、自分のファンを事前にたくさんつくり、本が出た暁には自分で積極的に宣伝告知して自分のファンを中心に買ってもらう、それも数千部単位で、ということを考えないと、なかなかヒット作にはならないだろう。

うちでもいくつかの本を書いてくださった大勝さんが執筆・監修しているメールマガジンのタイトルは『本を書こう。著者が自分で売る時代の出版戦略研究』という。

「著者が自分で売る時代」

実際、ビジネス書の場合、著者さんが自分で積極的に告知や販売に動いている本が、売れるケースが多いように思う。出版社と書店だけにまかせておいても売れる本って、少ないような。

お客さんが買う本は、テーマや内容や文章で選ばれるよりも、著者で選ばれる。もしその傾向が強いというのが本当だとすれば、出版社は「本」を宣伝告知するよりも「著者」を宣伝告知したほうがいいんじゃないか。どんなテーマで、どんな読者に向けて、どんなことが書かれているなんてことを紹介するよりも、この本を書いたのはどんな人かを紹介したほうがいいんじゃないか。

本のちからだけで売れる本なんて、そんなにないのだから。





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2007/08/16

増刷はうれしいのだけど

法律関係の本は、増刷時にたいていの場合、多かれ少なかれ本文をいじる。その本が印刷されて、増刷が決まるまでのあいだにたいていは、なにかしらの法改正等があるから、増刷時に、その時点で施行されている、もしくは施行が決まっている新しい法律、改正された法律の内容について、本文に書き加えたり、修正したり。また、その時点では廃止になっている特例などもあったりするので、そういうのは削除したり、別の内容に差し替えたり。そうした修正・調整を加えて増刷する。

増刷が決まるのは、たいていは社内在庫が少なくなってきたから。かつ、まだ市場(書店さん)からの注文がそれなりのペースであり、今後も一定期間そのペースが維持されるであろうことが予想されるから。

社内在庫が少ないとはいっても、ゼロではない。販売機会ロスを出したくないので、ゼロになる前に増刷する。それに、仮に社内在庫がほぼゼロになったとしても、市場(書店さんの棚)には商品がけっこうたくさん残ってる。そんな状態で、増刷をする。

本は、何度も増刷を重ねていくことで、利益を出していく商品だ。初版だけで終わってしまうと、たいていの場合、出版社にはほとんど利益が出ない。初版が売り切れずに断裁などとなると、間違いなく赤字。だから、増刷はうれしい。何度も増刷される本は、会社の資産だ。宝だ。

でも、と思う。

本は、増刷されて、そのときに本文に修正等が入っても、書名やカバーなどの「見た目」が変わらない。いま、その書店の棚に入っている本が、増刷前の本なのか、増刷後の本なのか、奥付を見ないとわからない。奥付を見て増刷されていることがわかったとしても、では、増刷に際して修正等が行なわれたのか、行なわれたとしたら、それがどの程度の修正だったのか、たんなる誤字等の校正だけか、内容の書き換えがあったか、項目の差し替えがあったか、お客さんにはわからない。

そして本は、増刷前のものも増刷後のものも、数世代のものが同時期に販売される。見た目は同じだけど中身がちょっとずつ違うものが、同時期に、同じ値段で、あたかも同じ商品のような顔をして、市場で売られている。

在庫が減ってきたから、増刷しよう。せっかく刷るのだから、現状と合わなくなっているところを修正しよう。それは、いい。

でも、このときに、増刷前の「現状とあわなくなっているところがある」商品を、回収したりすることは、まずない。現状と合わなくなっている部分もあることを告知することも、まずない。

なぜなら、現状と合わないのは全体のうちのほんの数パーセントだから? その他の部分はいまでも充分に役に立つから? ほんの数パーセントの直しのたびに、それ以前の本を回収・廃棄処分にしていたら、コストがかかってしかたがないから? 営利企業としては当然の判断なのだと思うけれど、この業界では当たり前のことで、多くの会社が同じように判断しているのかもしれないけれど。

だって、お客さんは、その「ほんの数パーセント」のところが知りたくて、この本を買ってくれたのかもしれない。書店の棚で手にとったその本が、増刷前の「現状とあわなくなっているところもある」商品だと気づかずに、その後に法改正等があったことも知らずに、古い本を購入し、その記述を頼りにいろいろな手続きなどを進めようとしているのかもしれない。

その「ほんの数パーセント」の修正箇所が、お客さんにとっての「充分に役に立つ」はずだった場所なのかもしれない。

それがわかっていながら、増刷前の本はぜんぶ返品してくださいと販売店にいえずにいる。もうすぐ内容を修正した増刷ができあがるから、最新版は何日付の何刷だから、それ以前の本を書店で見かけても買わないでくださいとお客さん(読者さん)にいえずにいる。たしかに増刷前の本の社内在庫は残りわずかだけど、市場在庫がどれだけあるのかわからないから。本は返品のきく商品だから、もし市場に数千冊単位で在庫があった場合、それがぜんぶ返品され、その分の返金をしたなら、増刷なんかするんじゃなかったという結果になりかねないから。

だから、すでに「現状とあわなくなっているところもある」ことを知りつつも、それが書店の棚から売れていくことを願ってしまう。待ってしまう。そして、なにごともなかったように増刷分をまた市場に送り込む。それがいつ刷られた本なのかは、奥付を見れば誰でもわかることだから、それを確認せずに古い本を売るのは販売店の怠慢、確認せずに古い本を買うのは購入者の怠慢と、そこに逃げ道を用意して。

増刷になるのはうれしいけれど、法律関係を扱った内容の本のときは、あまり素直に喜べない。ごめんね。


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2007/08/15

本でいいのかな。本がいいのかな。

お盆期間中ということで、朝の通勤電車は急行でもスカスカにすいていて気分がいいです。町も人が少なく、社内も人が少なく、静かでのんびりした感じ。これでもう少し涼しければいいのですけどね。

ちなみにハワイは現在、大きなハリケーンに直撃されているようで、場所によっては学校もビーチもクローズドになってるらしい。お盆休みを利用してハワイに出かけたのにホテルから一歩も出られず、などという残念な状況にいらっしゃる方もいるのでしょうね。帰りの飛行機とか大丈夫なのかしら。


もう脳みそとろけそうに暑いので、思考もとろけそうです。

自分は縁あって商業出版社に雇われ、単行本を企画・制作する編集部に配属され、業務としていくつもの本をつくってきて、これからしばらくもまだつくり続けなくちゃいけないんだろうと思うのですが、ご存じの方はご存じのように、あたしゃそんなに本が好きじゃありません。おそらく、出版業界外にいる「そんなに本が好きじゃない」一般の方よりは本が好きで、文章を読む量も多いだろうなとは思うけど、業界内にいる多くの人や、業界外にいる「本が大好き」な人とくらべたら、ぜんぜん「好きじゃない」レベルというか、むしろ「本を読まない、本が嫌い」なレベルかもしれません。

それはどうでもいいのだけど。
もうねぇ、何年もねぇ、なんというかねぇ、こう、すっきりしないのよ。自分で。

うちは主にビジネス書をつくる出版社だから、うちの本を買ってくれるお客さんはビジネス・パーソンの方で、主にはプライヴェートも含めた「仕事環境(物理的な面でも、個人の精神的・内面的な面でも)をよくする」ことに役立つような本をつくって提供するというのが基本的なミッションだろうと思うんですよ。

厳しいビジネスの最前線で一所懸命に働いている人たちは、こんなことに困ったり悩んだりしてるんじゃないか、それを解消したり克服できる力をつけたりするためのヒントとして、こういうことを教えてあげたらきっと役に立ったり喜んでもらえたりするんじゃないか――そんなことを考えながら、企画を立て、著者さんと相談して、本をつくってたりするわけです。

でもね、それがほんとうに「本」でいいのか、「本」という形で表現するのがベストなのか、おいらは自信を持てないのです。

おいらは、社会人としてのスタートがレストラン企業の社員だったこともあり、飲食業や接客業が好きなのです。でも、その苛酷な労働環境に耐え切れず、途中で逃げ出してしまいました。なので、逃げずにがんばり続けている飲食業・接客業で働く方たちの役に立つ本をつくりたいと、よく思います。上から目線で講釈をたれるのではなく、現場で、直にお客さんと対面し、リアルタイムでさまざまな推測と判断と行動を要求される仕事をしている人たちが共感でき、理解でき、納得でき、自分の仕事に生かしてさらに現場をよりよくしていけるようなものをつくりたい。

だけどね、おいらは知っているのです。現場で働く彼らの多くは、本を読むだけの時間的・体力的な余裕がほとんどないことを。

自分のスケジュールで仕事をするビジネスと違い、接客系のサービス業は基本的に「お客さんのスケジュール」での仕事になります。いつ現われて、なにを要求してくるかわからない(おおよそのパターンは読めるけど、イレギュラーはいつだって起こりうる)お客さん次第。接客の仕事をしたことのない人はけっこう簡単に考えていたりすることがありますが、不特定多数の見知らぬ人と日常的に恒常的に対面する接客業って、すごく神経をすり減らし精神的に疲労する仕事です。とくに「よい接客者であろう」という意識が高い人ほど、就業中は高い集中力と緊張感をもって観察し、推測し、判断し、行動するので、業務終了時にはとてもパワー的に消耗するのです。しかもたいていの場合、労働時間が長いし。

長時間の労働で体も頭も心も極度に疲労した状態で、「仕事のための本」など、なかなか読めるものではありません。読書は頭に労働を課す作業ですから、いっそう疲労してしまいます。それに、翌日のお客さんに疲れた顔は見せられません。であれば必要なのは、勉強のための読書よりも休息なんです。多くの場合。よりよい仕事をするために、本を読んで勉強をしたいとは思うけど、いまは休息のほうが重要、というケースが多いのです。

某有名飲食店チェーンの人に会いました。某有名飲料メーカーの人に会いました。某飲食店コンサルタントの人に会いました。みんな、勉強の必要性は感じているし、実際に勉強もしてる。自分が勉強したことを、現場の人同士で共有したり、教えあったりしてる。皆さん、厳しいビジネスの現場で働く、本当に忙しい人たちです。その彼らがいうのです。本は読みたいけれど、その時間がなかなか取れない。運転中には読めないし、文字を読んでもなかなか頭に入らないし。だから、音声教材で聞いている、映像教材で勉強していると。それならiPodに入れて、あるいは携帯電話のメモリにファイルを入れて、ちょっとした合間に聞いたり見たりできるし、そのほうが文字で読むよりもすんなり理解できる、と。

おいらは、本をつくる会社にいるから本をつくっているけれど、おいらがつくろうとしているものは、おいらがつくってきたものは、本当に「本」という入れ物に入れるべきだったんだろうか。「本」じゃない形で提供したほうが、それを必要としている人にとっては便利で役に立ったんじゃないだろうか。

世の中には「本がいい」という人がたくさんいます。そこに書かれていること、そこで主張・提案・展開されている内容がなんであれ、「本」という形で読むのが好きという人がたくさんいます。そして出版業界は基本的に「本がいい」お客さんに支えられてます。

でも、おいらはべつにそれほど「本」が好きじゃない。自分が本を買うときは、そこに書かれている「内容」が気になるのであって、その内容がよりよいかたちで楽しめたり理解できたり役立てられたりするのであれば、その受け取り方は「本」でなくても、別のかたち、別のパッケージでもかまわない。たまたま「本」という器よりよいかたちでの商品提供が見当たらないから、本というパッケージを選んでいるだけ。

だからかな。自分が提供しようとしている内容も、「本」というかたちでなくてもぜんぜんかまわないと思ってしまうのです。自分には「本がいい」という感覚が、あまりない。本というパッケージ商品のつくり方しか知らないから、所属している組織が本というパッケージ商品しか製造・販売していないから、いまはその器の中に「内容」を入れて提供しているだけ。

でも、自分の入れたい「内容」が、だんだんと「本」という器に合わなくなっているんじゃないか、本当に「本でいいのだろうか」という思いが、強くなっている気がするのです。

あるコンサルタントさんがいってました。教育用のDVD教材をつくろうと、DVDの製作会社と相談したら、「本でつくれるものを、どうしてDVD(映像)にする必要があるのですか?」と断られたのだそうです。

本でもつくれるけれど、DVDでもつくれるもの。その教材を本当に必要とし、勉強したい、役立てたいと思っている人にとっては、どちらの器がいいのだろうか。もし売価が同じで商品としての露出度も同じ=市場への認知が同じだとしたら、なんとなくだけど、とくにビジネス系や教育系のものに関しては、本じゃないほうがいいケースが多いのではないかという気がするのです。本でもいいけど、本でつくったら、「本がいい」人しか買ってくれないんじゃないか。でも本以外の映像や音声商品としてつくったら、本であるなしに限らず「それを必要としている」人が買ってくれるんじゃないか。もちろん、本プラスCD/DVDの複合教材であればさらによいだろうけど。

やっぱりおいら、本も好きだけど、本が好きなわけじゃないんだな。

なぜ「本」じゃなきゃいけないのか。
本でいいのか。
本がいいのか。

いくつかある選択肢のひとつとして「本」があるだけで、たまたまいまはその選択肢の中にいるだけ。この選択肢も好きではあるけど、この選択肢だけが好きなわけではないし、この選択肢だけが大きな魅力やパワーを持っているとも思っていない。むしろ、その力は相対的に落ちてきているんじゃないか、違う選択肢との連携が必要なんじゃないかという思いが強い今日この頃なのです。


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9月新刊『銀座流 売れっ娘ホステスの会話術』のカバーデザインを、どこよりも早く!先行公開。


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画像では書名のところが白い文字になっていますが、本番印刷のときはここがキラキラと輝く金色もしくは銀色の文字になります。金にするか銀にするかは、色校正を見てから決めます。

書店さんでの発売は9月6日(木)ころの予定です。お楽しみに!


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2007/08/08

売れない本ほど高い設定になって、その分、印税が増える... ようなことは、めったにないと思うのだけど、どうだろう?


印税の不思議を読んで。

まずはAの本。

初版部数が多く刷れないから単価を高めに設定する、ということはたしかにあるけれど、2500円などという高額をつけても3000部も売れる本というのは、それは「売れない本」ではなく「コアで確実なファンのいる計算の立ちやすい本」であり、その意味では「売れる本」だと思う。

実際は、2500円などという売価をつけた本がたくさん売れる可能性は低い。市場価格の動向から購買者が支払ってくれるであろうおおよその額を想定しその上限あたりに売価設定をした結果1800円くらいが限度かなぁとなるんじゃないかなぁと考える。人気度に差はあるけれどジャンル的には競合関係にあると思われるBの本が1200円で設定されるなら、そこから大きく離れた値付けはしにくいはず。

しかし、1800円で3000部では元が取れないし、あまった2000部の保管費や断裁費用もさらにマイナス要因になる。ならば余分な在庫を持たないよう、最初から初版3000部でスタートすることを考えるだろう。印刷・製本単価は上がるけれど必要総額はおそらく下がるだろうし、印税額も下がるので、それでペイできるか。

それでもペイできない場合、そもそもこの人の本を商品として発行すること自体が営利企業としては失敗。それはつまり、その企画はボツ、Aさんの本はつくらないという結果になりそう。

一方のBは「1万部売れるので売価1200円」となっているけれど、そこそこ売れることが最初からわかっている人気作家の本なら、出版社は定価をもう数百円あげることを考えるはず。1200円の本が1400円になったところで、実際の売れ行きにそれほど影響があるようには思えない。とくに、Bは人気作家が書いているのだから。

けっきょくのところ、売れないから初版が刷れない、初版が刷れないから売価を高くつける、という動きはあるけれど、つけられる売価には上限があるということ。同ジャンルで似たような体裁の本であるなら、初版が少なくても、売価は安いけど初版をたくさん刷れる本よりも多くの印税が支払われるくらい高い売価がつけられる(その販売が見込める)本というのは、それは実は「売れる本」なのですよ。おそらく、もっとたくさん刷っても売れるんだと思うわけで。

印税の不思議に書かれていることは、理論上の適正価格、あるいは値付けをする際に考慮すべき「最低価格を決める」ための考え方ですね。実際は、同一ジャンル・同種の形態・同程度のページ数で売価が2倍以上違うようなことはめったにないし、2倍以上の値付けをしなければ元が取れないくらいに販売数が少ないことが予想されるような企画は商品としての本にはならない。極論すれば、売れないものは本にならないから、売れない本ほど印税が増えるなんてことは、少なくともビジネス書の世界では考えにくいなと思うのでありました。


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「社会人のための~」となっていますが、もちろん学生さんが読んでも役立つ内容です。
実際の「トレーニング」をするときに使う「例文」が、学生さん向けだと舞台が「学校」や「夏休み」とかになるのだけど、この本ではもう少し大人向けになってるという意味での「社会人のための~」です。
むしろ「ちょっと背伸びをしたい中学生さん」とかには、この本のほうがおもしろいかも。

読解力をつけるとは、「論理的に読み解く力」をつけること。それは「論理的に考える」こと、さらには「論理的に話すこと」にもつながります。論理的な考え方も論理的話し方も、論理的な読み方ができない人には、できません。

だから、読解力をつけることって、すごく大切。

「もっと論理的に考えなさい」「もっと論理的に話しなさい」などといわれてしまうこと、ありませんか? 少しでも思い当たる節があるなら、読んでみたほうがいいですよ、この本。


カバー写真『社会人のための読解力トレーニング』

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2007/07/24

その本がある生活の提案

カバー写真メルマガ『本を書こう。著者が自分で売る時代の出版戦略研究』2007年7月18日号で、『ハヤリもの50年(昭和32年-平成18年)』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)が紹介されてました。

それでね、この本が団塊世代の女性に大人気!らしいのです。ま、著者さんが自分で紹介文を書いてるメルマガですから、どこまで「大」なのかはわかりませんが(こらこら、制作担当者がそういうことをいうんじゃありません)、その「大人気の理由」がね、なるほどねぇと思っちゃったのです。

この本をね、『家族年表』として使ってるんだって、団塊世代の女性=お母さんが。

メルマガには、実際に『家族年表』として活用している方のことが紹介されてます。それによると、たとえばお子さんが生まれた年のページに「長男・○○誕生」と記入。そのほかにも、学校に入学した年、就職した年、結婚した年とかも、その年のページにちょこちょこっと書き入れる。それだけで、子供の成長の記録とそのときの世の中の概況が一目で見られる、ちょっとした年表ができちゃうってわけです。

もちろん、子供のこと以外にもいろいろありますよね。たとえば、ダーリンが出世したとか、転勤になって引っ越したとか、はじめて犬を飼ったとか、マイホームを手に入れたとか、病気で入院したとか。うれしかったこと、哀しかったこと、楽しかったこと、つらかったこと、その他もろもろ、思い出に残る出来事を、それがあった年のページにちょこっと書き入れるだけで、ほかの誰のものでもない、あなただけの、あなたとあなたのご家族だけの、ちょっとした年表ができあがっちゃうんです。

なるほどねぇ。

この本、図版掲載の許諾が取れなかったり、図版が見つからなかったり、図版の掲載費用をケチったり(暴露しすぎ)したこともあって、意外と余白が多いのです(わはは)。図版の少なさは、モノクロ印刷であることとともに(カラーにしたら印刷代が約4倍! 無理です、計上できませぬ)、この本の弱点だったりするのですが、それによって生まれた「余白」を上手に活用しちゃったんですねぇ、このお方。さすがです。バ○とハサミは使いようとはよくいったものです(なんか違う気がします)。転んでもただでは起きないというか(これも違う気がする)。

本をつくるときって、「こういう人に読んでほしい」「これを読めば、こういうことが身につきますよ」「あなたはこういうことで困ってるでしょう? この本に解決策がありますよ」ということは考えるのだけど、けっきょくは「知識の提供」という意識の枠からはなかなか抜け出せないのですよ。なんていうのかなぁ、うまく表現できないのだけど、ちからの向きが一方向で、かつ、用途と使用法が限定されているというか。これはこういうものだから、こういうふうに使いなさいというのがね、とても固定的? 広がりが少ないというか。

でも世の中的には、商品を売るってことは、たんに「商品そのものを売る」だけでなく、「その商品があるライフスタイルを提案する」ことまで含まれてるのが現代じゃないですか。いいものだから買いなさい、この商品であなたの問題を解決しなさい、というのはもちろん根底にあるとしても、それだけでなく、その先のこと、その商品があることで、購入者の生活や意識がどういうふうに豊かになるのか、なにが変わるのか、といったことまで売り手側がイメージし、そのイメージを購入者に伝える。購入者は、商品そのもの(だけ)ではなく、その商品がある自分の生活のイメージにお金を払う。

売り手のイメージと買い手のイメージは少し違っちゃうこともあるけれど、いずれにしろ「その商品のある生活」がイメージできるかどうかが、けっこう重要になってると思うのですよ。そしてね、そのイメージがあまりに固定的ではないことも。

売り手が描いた「その商品のある生活」をヒントに、買い手が自分なりに「その商品のある生活」を思い描ける。そこにイメージの広がりがある。その広がったイメージに対応できるフレキシビリティやカスタマイズの可能性がある。そういうことって、商品にとって大切だよなと思うんです。その点で、本という商品の多くはかなりコンサバティブというか、枠にはまってしまっているというか、抜け出せないというか。それは、商品の提供側である出版社や書店の人たちが、けっこうコンサバで枠にはまりがちだからだよなぁとも思うわけです。

『ハヤリもの50年(昭和32年-平成18年)』もね、コンサバな出版社のインチキな編集担当者(オレだよ、オレ)が制作費用をケチりまくって、コンサバな「本」という枠にすっぽりはまったかたちでつくったわけです。そうであることを狙って(意識して)ではなく、そういうかたちでのつくり方しか知らないから。なので当然、それを買うお客さんは「読者」、つまり「本を読む」人で、読むことによってなんらかの満足を得てもらうことを想定してた。

でもメルマガで紹介されていた、これを購入した団塊女性は「消費者」で、「読む」のではなく、この本を「使って」くれているのですね。この女性にとってこの本は、彼女の生活を彩る「商品」となっているのです。この本があることで、生活習慣にちょっとした変化が生まれてる。

その本があるライフスタイルの提案。

他の商品では頻繁かつ一般的に考えられたり表現されたりすること。「本」という商品でも、これを考え表現することは、けっこう大切なのかもしれないな。

というか、お客さんに教えてもらう前に、おいらがイメージできているべきだった。
本をもっと自由にお客さんに「使って」もらう。忘れないようにしようっと。

カバー写真『ハヤリもの50年(昭和32年-平成18年)』

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2007/06/28

現在進行形は、本にできない

レジャーサービス研究所Blogの「教わるなら現在進行形の講師がいい!」(2007年6月22日)を読んで。

講師だけでなく、ビジネス書の著者さんも、できれば「現在進行形」の人のほうがいい。実際に前線で、いまの時代に、いまの環境で、仕事をしている人。今日、そして明日と、日々の困難に立ち向かい、道を切り開いている人。そのなかで、効果と実績を出している人。そういう人に、「いまのこと」を書いてもらいたい。

でも、そうやって日々の仕事と真剣に格闘している人の多くは、本を書いている時間なんてないんだよね。

本を1冊書き上げるのって、書いたことのない人が想像するよりもずっとずっと多くの時間と集中力と忍耐力とモチベーションが必要。実はかなりの体力仕事で、すごく消耗する。「本を書きたい」と企画書を出版社に送ってくれる人は多いけど、その企画がさいわいにも採用され実際の執筆にまでステージが進んでも、「最後まで書ききる」ことができずに本にならないケースも、実は少なくない。

それは、「初めて本を書く人」だけじゃない。すでに数冊の本を出したことがある人でも、最後まで書ききる時間と体力(集中力と忍耐力とモチベーション)を維持できず、本の発行にまでたどり着けないこともある。

それほど時間と体力が要求される本の執筆。日々ビジネスの前線で実績を積み上げ続けている人の多くは、そして日々の仕事と同程度に「本の執筆」にも真剣に向かい合おうと考えるならばなおさら、そんなヒマはないというのが本当のところだろう。

話しは立派でも、現実には「現在は、部下がいない」とか、「出て行った」などが多くて、そのほとんどが「過去の話」の場合があります。
つまり「ある時期、指導がうまかった」くらいなのです。

ビジネス書も、そういうところがあることは、否定できないよなぁ。

現場で、現役で、自分が実際に汗をかいて、日々の改善や改革に励んでいる人は、本を書くまでの余裕がないことが多いだろう。だから著者には、以前に汗をかいていた人、現役だけど「現場」にはいないで本部?から指導する立場の人、現役で現場にいったりはするけど「自分ではあまり汗をかかない」で人に汗をかかせる人が多くなってしまうのも、しかたがないなとも思う。

カバー写真もちろん、そうでない人もいる。『新入社員が劇的に成長する3か月プログラム』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)著者の中尾さんなどは、いまもバリバリの現役で、今日も明日も実際に現場で「いかにして新入社員を育成するか」を考え、行動し、日々改善・改革に励んでいる。

そういう人が書いたものでも、「本」は「過去のある時点(まで)を切り取ったもの」でしかない。原稿が書かれた時点では「現在進行形」だったとしても、それが印刷され、製本され、書店に並ぶまでには数ヶ月がかかり、その時点で過去形になる。良書として書店の棚に長く置かれれば置かれるほど、長期に渡って読者がつけばつくほど、そこに書かれたことは「過去の話」になっていく。

それでも読まれるのは普遍性があるからだとはいえるけれど、書かれた文字の一語一語、文章の一つ一つがすべて「普遍」であるはずはなく、その根底に流れる思想や理念、エッセンスに普遍性があるだけ。その思想や理念、エッセンスの「普遍性」を感じ取り、自分のものとして咀嚼し、「いま」の自分の状況に当てはめて、「いまのかたち」に変換し表現できるかは、読者の側にゆだねられている。

でも、その変換があまり上手でない、得意でない読者が多いのも、否定できない。「過去の形」のまま「いま」に使おうとして、うまくいかない、役に立たないと判断したり。そして、「いま」「そのまま」使えるものがほしいという。

現在進行形を本にするのは、難しい。
本の内容が現在進行形のままであり続けるのは、難しい。




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2007/06/13

コンテンツにお金を出してもらうのではなく、手段にお金を出してもらうことを考えることが必要なんじゃないかな

ここ最近、といっても1~2年くらい前からかな、思っているんですけれど、コンテンツそのものを売るという考え方って、もうかなりきついんじゃないかと。

うまくいえないのだけど、情報にしろ創作物にしろ、もちろんそのコンテンツ自体には「お金を払うだけの価値がある」ものも多いだろうし、だからこそお金を出して買ってくれる人もいると思うのだけど、でもそれは「コンテンツ」にお金を出してるんじゃなくて、実は「コンテンツの入手方法」にお金を出してるんじゃないのかなぁと思うのですよ。

とくに、もとになる「コンテンツ」自体が文字や音や映像といったデジタルデータに変換できるものである場合、そのコンテンツを手に入れた誰かが勝手にデジタルデータにしてしまうことは充分に考えられるし、そうして作成されたデータが元のコンテンツ提供者側の感知しないところで無料で流通しまくっちゃうことも充分に考えられる。そうなると、コンテンツ自体は無料で入手できるというふうに考える人が多くなるのも充分に考えられる。というか実際、多くのコンテンツはインターネットを通じて無料で手に入る世の中になってるし。

そんななかでも、その気になれば無料で手に入るコンテンツを、わざわざお金を出して買ってくれる人がいっぱいいたりするわけだけど、それってきっと、「コンテンツ」そのものを買ってるんじゃなくて、「コンテンツの入れ物」や、「コンテンツの入手方法」や、「コンテンツの表現方法」にお金を出してくれているんじゃないかなと思うわけで。

たとえば音楽でいうなら、曲や演奏というコンテンツそのものにお金を出しているのではなく、それをいつでも身近に所持できるようにしてくれる「CDという入れ物」や、わざわざショップまでCDという入れ物を買いに行く手間を省いてくれる「ダウンロードという方法」や、目の前で生身の人間が実際に演奏して聴かせてくれる「ライヴという表現方法」にお金を出してるんじゃないかと。

なのに、コンテンツの提供側はいまも「お客さんはコンテンツそのものにお金を出してくれている」と考えているというか、考えたいと思っているというか。そんな状況にあったりはしないかなぁと。

本もね、同じようなところがないかと思うのですよ。本に書かれていること(コンテンツ)に魅力が必要なのは当然だけど、そこから「お金を出す」という行為へと導くのは、その「入手方法」にあるんじゃないかと。

「知ったかぶり週報」2007年6月13日の記事で、kajieさんが「私も、コンビニで廉価本コミック1冊丸ごと立ち読みをよくやってます」と書いてます。これもけっきょく、廉価本コミックの内容という「コンテンツ」を「コンビニでの立ち読み」という方法で入手しているわけだけど、その入手方法にお金を払うほどではないし、廉価本コミックというコンテンツの入れ物にもお金を払う気持ちが起きない、ということなのかなぁと思うわけで。

仮に、その「コンテンツ」を入手する方法が「廉価本コミックを買う」ということしかなかったとしたら、つまり、どこでも立ち読みできない状態だったとしたら、どうでしょう。お金を出すほどのコンテンツではないと考える人もいるだろうけれど、しかたがないから買うという人もいるかもしれない。ほかに入手のしようがないから。そういう状況に、出版業はけっこう甘えてきたというか、そこから抜け出せない人が多くなってしまったというか。そんなような気がね、するわけですよ。だから「内容のいい本をつくれ」「コンテンツのクオリティをあげろ」と、そうすれば「お客はお金を払ってくれる」と。

でも、本に書かれるようなコンテンツの多くは、すでに本以外でも入手できることが多かったりするわけで。著作物や創作物は代替が利かないという人もいるけれど、たしかに「そのまま同じもの」は手に入らないかもしれないけれど、似たようなものは手に入ったりするし、そういったものが意外と多くあったりするし、それらでけっこう間に合ってしまったりもしたりして。

東邦出版というところが桜庭和志著の『ぼく…。』という新刊の全文をYahoo!ブックスで無料公開しているらしい。こういうの、いいなと思う。コンテンツそのものは無料、ってことですよね。それを入手するためのパッケージ=本が有料なの。『電車男』だって、『恋空』だって、同じ。コンテンツそのものはネット上で無料で読める。それを自分のそばに置いておくための方法(=本を買う)、あるいは、ディスプレイで読むよりも目が疲れないとか読みやすいといった表現方法(=本というかたちのパッケージ)にお金を払った人がたくさんいるわけ。

ある編さんが「いま編集者に求められているのは、「ダウンロードできないもの」を作ることなのかもしれない。」という記事の中で、矢沢永吉の「ダウンロードできないものを作らないといけない」という言葉に共感して、紙の本への愛着を語っています(と受け取っていいかしら?)。出版における「ダウンロードできないもの」とは、「いままで作ってきた「本」じゃないか」といっている。それはきっとそうなんだけど、たぶんそれだけじゃないんじゃないかとも思うのですよ。

なぜなら、「いままでつくってきた」ものは、「本以外に入手方法がほとんどなかった」時代の「コンテンツを入手する便利な手段」の延長だから。本がある意味でコンテンツ入手の唯一の手段であり、特別なものであった時代は、もう過ぎてしまったんじゃないかと。今後も本にお金を払ってもらいたいならば、「本以外にもコンテンツ入手の手段があるなかで、あえて“本という手段”を選んでもらえるためのつくり方」を考える必要があるのではないかと。

そのときに、コンテンツ自体を「本の購入」でしか入手できないようにする、というふうに思考を逆行させたい人もいるだろうけれど、それはもう無理なんじゃないかと、そんな気がするんです。コンテンツ自体は、きっとデータ化され、どんどん無料で流通してしまうようになってしまう。この流れは止められないんじゃないかと。

ある編さんの記事の引用元(ほぼ日刊イトイ新聞)で矢沢永吉は「俺にとってダウンロードできないものって(中略)ライブだ!」っていってる。パッケージやデータとしての商品ではなく、常に変化しているもの。お客さんとの駆け引きや、ミュージシャンも含めたステージ上の人間の体調や、その日の天気や気温や社会情勢その他によって刻々と変化していくもの。コンテンツそのものは「矢沢永吉」だけど、その表現のしかた、提供のしかたが常に変化していく。常に変化があるから、ダウンロードできない。

出版にとっての「ダウンロードできないもの」も、追求すべきは、もしかしたら「ライヴ」なのかもしれないなぁと。

出版社って、「本」をつくるのが仕事じゃなくて、コンテンツを「提供・流通」するのが仕事なんじゃないかなと思うんです。その「提供・流通」の方法にお客さんが対価を払ってくれてるんじゃないかと。そのなかでたまたまお客さんウケがよかったのが「本」というスタイルだっただけなんじゃないかと。

お客さんがコンテンツを受け取る方法は、受け取りたいと思う方法は、お客さんとの駆け引きや、著者さんや書店さんも含めたコンテンツ提供側の意識や、そのときの社会情勢とかインフラ設備とかによって、どんどん変わってくるはずです。それって、ライヴですよね。だとしたら、いかに魅力的なライヴ・ステージをお客さんに見せられるか。それが、お客さんにお金を出してもらえるポイントなんじゃないかと。

書籍の販売は、書籍という「コンテンツ」自体にお客さんがお金を出してくれているのではなく(そういう部分ももちろんあるけど)、読みやすく紙の質感が心地よい本というかたちにしてコンテンツを印刷するという「アイデア」と「そのパッケージ」にお金を出してくれている。

本のダウンロード販売は、ダウンロードされる「コンテンツ」自体にお客さんがお金を出してくれているのではなく(そういう部分ももちろんあるけど)、ダウンロードで本が買えるという「アイデア」と「そのシステム」にお金を出してくれている。

さぁ、ほかにはどんな「アイデア」や「パッケージ」「システム」が考えられるのだろう。なにが実現できるのだろう。どういう「コンテンツの届け方・表現のしかた」にならお客さんはお金を払ってくれるのだろう。それを考え続けると同時に、現状の「書籍」や「本のダウンロード販売」というパッケージやシステムがお客さんにとって本当に便利だったり楽しかったり使いやすかったりしているだろうかということを検討し、改善を図っていくことが必要なんじゃないかなと思うんです。そのときに、「コンテンツのクオリティさえ上げればお客はお金を出す」という考えを持ち出すと、なかなか抜け出せないんじゃないかなぁと。

そんなことを考える今日この頃なのでした。






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2007/05/17

寿命は5日かぁ~(ToT)


営業部さんが日々の書店さんまわりのあとに記入している日報をね、読んでたんですよ。そしたらね、東京都心部あたりにある、某有名チェーンの書店さんについての記述がありまして。

そこのお店では、新刊の見切りがすごく早いと。商品が入荷して、とりあえず平積みしてみて、5日くらいで目立った動きがなければ棚からはずしちゃうんだそうな。

営業担当者としては、もう少し長く置いてもらえるよう、せめて2週間くらいは様子を見てもらえるよう、書店の担当さんにお願いしていると書いてあった。

5日かぁ。早いといえば、早いよなぁ。たぶん、その本が発行されたことを、そのお店に来るお客さんの多くが知る前に、棚からなくなっちゃうんだろう。

ちょっと仕事が詰まって書店の営業時間終了後まで1週間残業したら、もうその本には出会えない。ちょっと体調を崩して安静をとるために勤務後は寄り道せずまっすぐ帰宅して早めに寝ることが1週間続いたら、もうその本には出会えない。

棚からはずされる前の5日間で本が目立った動きをするには、お客さんが、ほとんどなにかの奇跡的に、たまたまその本が入荷した直後にそのお店を訪れる機会があって、神の導きのように積んである棚の前にいき、偶然のようにその本に気がついて購入... なんていうストーリーがたくさん必要なのか?

そんなかたちで「たくさん売れる」状況なんて、つくりにくいよなぁ。たったの5日で、そんなに都合よく「たまたま見つけたその本を買いたいと思ってくれるお客さん」がたくさん棚前に来てくれるなんて、考えにくい。

思うのだけど、やっぱり発売前の事前告知をもっとしたほうがいいんじゃないだろうか。

新刊書籍の告知は、いまでも多くは新聞広告が使われるのだけど、その広告掲載日はたいてい、本の発行後1週間から10日ほど経ったあたりというのが標準的のようだ。こう書房もそうだし、他社さんも似たようなもんらしい。

でもさ、入荷から5日で店頭からはずされてしまうのだとしたら、告知が1週間後じゃ遅いんじゃないかと思うわけですよ。告知を見てからお客さんに購買活動をされても、その前の時点で「目立った動きがなかったから」と平積みをはずされちゃってたりするんじゃないかと。もっと早い段階でね、配本のその日とかに告知しちゃわないと、間に合わないんじゃないかしら。

と思うのだけど、なかなかそうもしにくい事情が出版流通にはあるわけで。

出版社からの新刊は、複数の問屋さんを通じて各地の書店さんに届けられるわけですが、各問屋さんへの見本交渉は同じ日に行なったとしても、問屋さんへの商品納品日も各問屋さんで必ず同じになるとはかぎりません。問屋さんの処理能力その他の事情で、問屋さんによって納品日が1~2日違ったりすることがあります。

さらに、問屋さんへ納品された商品が書店さんに届けられる日数も、問屋さんにより、書店さんにより、違ってきます。同じ問屋さんからの配送でも、首都圏の大手チェーンさんには翌日に入荷するけど、地方の中小書店さんは入荷までに数日かかったり。

さらにさらに、入荷日が同じ書店さんでも、それをいつ店頭に出すのか、その日のうちか、翌日か、翌々日か、あるいはまったく出さずに即返品するのかも、書店さんごとに違います。

けっきょく、新刊が入荷し店頭に並べられるだろうと予想される“すべての”書店さんに“確実に”新刊が入荷済みであろうと考えられるもっとも早いタイミングが、発行後1週間から10日ほど経ったあたり、なのですよ。

それより早く広告を掲載しちゃうと、まだ商品が入荷していないとか、入荷しているけれど店頭に出せていない、といった書店さんが出てきてしまうおそれがある。そうすると「広告が出てるのに店に本がないとはなにごとだ」というクレームがお客さんから書店さんに行き、そういうクレームを受けたというクレームが書店さんから出版社に来るので、出版社としては安全策をとってしまうのだなぁ。

でも、安全策をとってしまったがために告知不足で初動が重く、動き出す前に返品されてしまっているのだとしたら、なんだか意味ないよなぁとも思うわけで。

だからね、もう最初から発売日前にどんどん告知しちゃうのはどうかと思うんですよ。6月5日~10日くらいのあいだに出ますよー(笑)みたいな感じで。

本当は「6月6日(ダミアン君の誕生日)発売!」みたいに特定できればいいのだけど、残念ながらそうはいかない事情が出版流通には、とくに中小規模の出版社&書店にはあったりするので、幅を持たせなくちゃいけないのだけど、だからこそ事前に、いつごろにどんな本が出るのかを、断続的に、継続的に、ガンガンあおって告知すると。そんで、期日が近づいてきたらお客さんが足しげくお店に通って、今日はもう出たかなぁ、まだかなぁ、明日は出るかなぁ、と楽しみにするくらいの気持ちにお客さんがなるくらい、あおり告知をガンガンすると。

そうでもして発売前から書店外での認知度を高めないと、店頭で5日しか展示されない新刊の寿命を延ばし、その本を買ってくれるはずだったお客さんがちゃんとその本を手に入れられる=本が売れる状況には、なかなかならないんじゃないかと思うっす。

Coverというわけで、『本当にあった ホテルの素敵なサービス物語』は、5月31日(木)に問屋さんへの見本交渉を行ないますので、書店さんには、めちゃめちゃ早ければ6月6日(水)ころから、遅くても6月12日(火)くらいには、入荷されるはずですよー。メモメモ。

ちなみに新聞広告は6月13日以降になるはずなので、広告が載るころには、6月6日に入荷した書店さんではすでに返品されてるかもー(^^;)。






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今年入社の新入社員さんも、そろそろ新入社員研修が終わり、各部署への配属勤務が始まるころですね。銀行などの金融業に入社し、投資信託や個人年金といった金融商品を販売する「預かり資産セールス」部門に配属された方もたくさんいることでしょう。

そんな新人金融セールスパーソンの方々にきっと役立つのが、この本。預かり資産セールスで成果をあげているトップセールスたちが、この仕事で成功するために必ずしていることをステップを追って解説しました。

幅広い業種の「セールス一般」についてのノウハウ書ではなく、預かり資産セールス・窓販に特化した、金融セールスパーソンのためのセールスノウハウ書。

新人さんは「成績アップのためのよき参考書」として、新人さんを指導する中堅さんには「新人トレーニングの再のよいテキスト」として、きっと役立てていただけると思いますよん。

書店さん、「新入社員フェア」等のヴァリエーションとしてぜひ「祝・配属決定フェア」を企画し、各業務の入門書などを集めるというのはいかがでしょう? そんで、金融業の新人営業職向けにはぜひこの本をよろしくでっす。

カバー写真『投信・個人年金セールス実践マニュアル』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)





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カバー写真『社会人のための読解力トレーニング』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)

売れ行き順調ですよー。
発売から1か月経ちますが、千葉の三省堂さんでは安定した動きでっす。よっしゃよっしゃ。

【問題】「次のそれぞれの文を読んで主観的な記述、客観的な記述とに分けてください」
1 私は35歳です。
2 この本はとても面白い。
3 91年のルマン24時間自動車レースではマツダ車が総合優勝した。
4 85年のプロ野球ペナントレースで阪神タイガースは圧倒的な強さで優勝した。

【解説】
1 私は35歳です。
「私」が「35歳」であることは、相手が誰であっても変わらない事実ですよね。(中略)したがって、これは典型的な客観的な文章。

2 この本はとても面白い。
これは逆に典型的な主観的な文章。だって、面白いと感じるかどうかは人によって違うわけです。何をもって面白いとするのかの基準も人それぞれ。したがって主観的。

3 91年のルマン24時間自動車レースではマツダ車が総合優勝した。
これは歴史的な事実です。歴史的な事実といっても大昔ならば記述の信憑性を疑うこともできますが、1991年とほんの数十年前のことですし、政治的に真実が隠される必要もないようなものですから、客観的といって間違いないでしょう。

4 85年のプロ野球ペナントレースで阪神タイガースは圧倒的な強さで優勝した。
3が客観的なら、この4も同じ理由で客観的なような気がします。ところが……

さぁ、「ところが……」のあとにはどんな解説が続くのか、そしてこの文章は主観的なものなのか客観的なものなのか??
答えは、




教えてあげないよ。ジャン。




答えが気になっちゃった人はぜひ、この本を読んでみよー。
答えがわかった方、ここでばらさないでくださいねー。


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2007/04/26

もともとデジタルデータなのだから

楽天ブックスさんで広告掲載してまーす。5月16日までの1か月間。こう書房にとって初めてのウェブ広告です。どんだけ効果があるのかしら?

バナー

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音楽は、デジタル録音されたデータを、CDというデジタル記録媒体に収録し、販売してる。最近は記録媒体にコピーせず、データそのものをインターネットというデジタルなネットワークを通じて販売してる。

本は、以前は原稿もアナログ(手書き)のものが多く、それを活字や写植といったアナログな印刷原稿に変換し、書籍というアナログ記録媒体に印刷して、販売してた。でも最近は、原稿はWordなどで作成されたデジタルデータでもらい、それをDTPソフトに流し込み、印刷用データもデジタルで作成してる。なのに販売の段階では、やはり書籍というアナログな媒体に変換し販売することに頼ってる。

デジタルな素材を、デジタルなデータで、デジタルなネットワークを通じて売る音楽。
デジタルな素材を、デジタルなデータからアナログなデータに変換し、アナログな販売店を通じて売る書籍。

途中までは同じなのに、どうして最終的な形が違ってしまうのだろう。どうして「デジタルなデータ」としての商品化・販売がうまくいかないんだろう。

最近は映画も、デジタルなデータにし、DVDというデジタル媒体で販売するだけでなく、インターネットを通じて配信・販売している。

コンテンツ・ビジネスという意味では本も音楽も映画も同じはずなのに。商品化するひとつ手前の段階までは本もデジタルデータでつくっているのに、デジタルデータの本が伸びないのはなぜだろう。

「本」という商品の特殊性がどうだとかいう以前に、本を「デジタルデータとして売る」ことに抵抗がある人が多いのかもしれないな。デジタルデータとして、デジタルなネットワークを通じて売ることに、抵抗があるのかもしれない。たぶん、主には商品の供給側に。

では、消費者側はどうなのだろう。やはり、同じように抵抗があるのだろうか。それとも、たんに「有効なかたちでの供給を受けたことがない」だけで、もしiPodのようなハードとiTunes Storeような販売インフラがあったなら、もしGyaOのようなビジネスモデルのデジタル書籍版があったなら、抵抗なく利用してくれるのだろうか。

本は「本」として、この先もなくならずに残るとは思う。だけど、本に収録されるコンテンツは、「本」というかたちにしかできないわけではないはず。ほかのかたちにもできるものは、ほかのかたちでも供給したい。供給の方法を探ってみたい。出版社の財産は、完成された形としての「本」だけでなく、そこに収録された「コンテンツそのもの」も大切な財産なのだから。





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カバー写真4月新刊『社会人のための読解力トレーニング』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)もう見たぁ? 大きめの書店さんには並んでるはずだから、見て見て見て見て。

【問題】「次のそれぞれの文を読んで主観的な記述、客観的な記述とに分けてください」
1 私は35歳です。
2 この本はとても面白い。
3 91年のルマン24時間自動車レースではマツダ車が総合優勝した。
4 85年のプロ野球ペナントレースで阪神タイガースは圧倒的な強さで優勝した。

【解説】
1 私は35歳です。
「私」が「35歳」であることは、相手が誰であっても変わらない事実ですよね。(中略)したがって、これは典型的な客観的な文章。

2 この本はとても面白い。
これは逆に典型的な主観的な文章。だって、面白いと感じるかどうかは人によって違うわけです。何をもって面白いとするのかの基準も人それぞれ。したがって主観的。

3 91年のルマン24時間自動車レースではマツダ車が総合優勝した。
これは歴史的な事実です。歴史的な事実といっても大昔ならば記述の信憑性を疑うこともできますが、1991年とほんの数十年前のことですし、政治的に真実が隠される必要もないようなものですから、客観的といって間違いないでしょう。

4 85年のプロ野球ペナントレースで阪神タイガースは圧倒的な強さで優勝した。
3が客観的なら、この4も同じ理由で客観的なような気がします。ところが……

さぁ、「ところが……」のあとにはどんな解説が続くのか、そしてこの文章は主観的なものなのか客観的なものなのか??
答えは、




教えてあげないよ。ジャン。




答えが気になっちゃった人はぜひ、この本を読んでみよー。
答えがわかった方、ここでばらさないでくださいねー。



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2007/03/23

デジタルデータの本


電車の中で本を読んでいる人の数は、たとえば10年前とか15年前くらいとくらべると、明らかに少ないと感じるのは、たぶん間違いじゃないだろう。それでも数年前くらいまでは、マンガ雑誌を読んでる人とかはけっこういたと思うのだけど、最近ではそれすらあまり見かけなくなってきたように思う。

電車の中で単行本や雑誌を読む人の数が減ったよなと感じた一方で、携帯電話の見てたりいじってたりする人が増えてる、と感じたのは数年前だったか。最初の頃はメールを打ったり読んだりしてる人をよく見かけたものだけど、最近はメールの送受信より、ゲームをしてる人を目にするケースのほうが多いかもしれない。

でも最近は、電車内で携帯をいじくる人も、以前より減ってる気がする。それよりもニンテンドーDSのほうが目にするか。自分はゲームとかしないので知らないのだけど、あれはゲーム機としてだけでなく、小型の電子端末として、けっこう便利なのだそうですね。電子ブックリーダとしても使い勝手がいいというような噂を聞きました。もしかしたら、音楽の世界における「曲データのダウンロード販売」を一気に加速させたiPodのような役割を、電子ブックの世界においてはニンテンドーDSが担うのかもしれない。DS用の電子ブックデータって、簡単につくれるんだろうか? まったくもってわからない。

電子データでダウンロード購入する本ということでいうと、最近は「オーディオブック」もある。うちも、いくつかの本がオーディオブックになっている。目で読むのではなく、音で聴く本。

移動の際には自分でクルマを運転することが多いアメリカでは、何年も(何十年も?)前からオーディオブックがたくさんあって、それなりに市民権を得ているという。運転中は本を読むことができないので、代わりにオーディオブックをカーステレオで聴く、というスタイル。と同時に、視覚障害のある人や、文字の読めない人へのフォローという側面もあるらしい。

さて、日本でも一般化するのだろうか、オーディオブック。

たしかに、メーカーや商社などに勤めていて移動の多い営業スタッフなどは、本を読んでる時間的余裕がないので、著名なコンサルタントのDVDや音声教材をデータ変換し、携帯電話に取り込んで、移動中に見たり聞いたりしている、という話はある。実際にそうしている人にも会ったことがある。

最近は「倍速ファイル」なるものもついていたりして、自分は聞いたことがないのでよくわからないのだけど、名称からしておそらく、倍の速さで読んでいるのだろう。そんなの聞き取れるのだろうかと思ってしまうが、これまた最近は「速読」ならぬ「速聴」という技術があるようで、それを身につけるための本もあったりする。ちなみに「速聴」はどこだかの会社の登録商標かなにかになってるらしく、商品名等に簡単には使えないらしい。とすると、速読ほどには名称の認知が広がらないかもしれないな。

いずれにしろ、時間がなくても「本からの情報」を仕入れなくてはならない人には、きっと便利な道具になるのだろう、オーディオブック&速聴技術。そして、そういう人こそが、実は自分らビジネス書出版社のお客さんなはずで、だとしたら、もっと積極的に商品開発・制作をしてかなくちゃいけないんだろうな、きっと。そのためには、「本来は目で読む本」を「オーディオブック化する」のではなく、最初から「オーディオブックとして聴く」ことを目的とした商品制作も必要になってくるだろう。テーマの決め方や、原稿の書き方も、違ってくるはず。

現状は、電子ブックもオーディオブックも、まだそんなに売れてないというか、あまり消費者に喜ばれていない、消費者が満足する形になっていないのだろうと思う。それはたぶん、もともとの発想が「目で読む、紙の本」を他の「形」に単純に移行させようとしているからじゃないだろうか。「紙の本」をベースにするのではなく、最初から「電子ブック」として、「オーディオブック」として、企画・制作されたものが増えれば、それを楽しむインフラとしてニンテンドーDSやiPodを活用できる、あるいは携帯電話を活用できるなら、もしかしたら一気に普及することも考えられるのかもなぁ。

しかし自分、ニンテンドーDSもiPodも携帯電話も持ってないのであった。

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今月新刊の宣伝。

カバー写真『ハヤリもの50年【昭和32年‐平成18年】』


楽天ブックスで買う
Amazonで買う

【1978年のハヤリもの】

《商品》
とんがりコーン(ハウス)
《本》
黄金の日日(城山三郎)
《マンガ》
うる星やつら(高橋留美子)
《テレビ》
西遊記(日本テレビ系)
《映画》
サタデー・ナイト・フィーバー(ジョン・バダム / ジョン・トラボルタ)
《音楽》
カナダからの手紙(平尾正晃・畑中葉子)
《流行語》
男はタフでなければ生きていけない(映画『野生の証明』)
《世の中》
子供たちのあいだで「口裂け女」の噂が駆け巡る
成田空港開港
サザンオールスターズがデビュー
など

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2007/03/22

イタリアの書店

「数字で見るイタリアの常識・非常識」というメールマガジンを読んでいるのだけど、それのvol.194 20.03.2007に、イタリアにおける書店事情のようなものが少し書いてあった。

メルマガによると、あまり「本を読む」というイメージのないイタリアでも、毎日170タイトルが発行されているのだそうだ。しかし、それらの新刊を展示するための十分なスペースが書店にないのは日本と同じ。新しい本が出たら、別のなにかの本を棚からどかさなきゃいけない。その結果、発行された本が書店の棚に置かれるのは実質的に40日間。その40日間での売れ行きが良くなければ、発行部数の35%は廃棄処分となるのだそうだ(このあたりの記述、意味がよくつかめない。そもそもイタリアは委託販売制なのか? それとも書店の買い切り? “廃棄処分"にするのは誰? 出版社? それとも書店? 書店だとすると、どこから“発行部数の35%”という数値が出てくるのかな)。

新しい本がどんどん出て、少し前に出た本がどんどんリアル書店の棚から消えていき、棚から消えてしまった本をあとから探して入手するのはとてもたいへん。そこで、検索性に優れているネット書店が急激に伸びている、というのも、どこかで聞いたような話。

そうした状況に対抗すべく、リアル書店は大型化、メガストア化し、一方で個人経営の小さなお店が姿を消しつつある、というのも、どこかで見たような光景。

ただ、ここから「ちょっと違うかな」と思うのが、以下の部分なんです。

==========
一方生き残りをかける個人経営の街の小さな書店は、それぞれに専門性を高めて、ニッチな需要に応えるように方向転換。
特にイタリアの美術書に関する専門性の高さは特記すべきもので、小さな書店のスタッフには驚くべき記憶力で店内のすべての書籍のタイトルを覚えている人がいたりすることも稀ではありません。
イタリアには現在約4000件の書店が存在するといわれていますが、そのうちの16%がチェーン店系列で徐々にメガストア化している部分。
メガ書店も小さな書店もそれぞれに利点があって、将来的に上手に住み分けがなされていくであろうというのが大まかの見解。

(「数字で見るイタリアの常識・非常識 vol.194 20.03.2007より。一部句読点を付け加えてあります)
==========

専門性を高める。扱い範囲が狭い分、自分たちが扱っている商品全体をきちんと把握し、詳細に理解している。それにより、メガストアでは対応しきれないような「読者からの細かい問い合せや相談」に、おそらく従業員が対応でき、お店とお客のあいだに信頼関係が生まれ、リピーター化していくんじゃないかしら。そうしたお店はお客にとって「書籍アドバイザー」あるいは「生き字引」的な役割を持ちそう。そうすれば、それとはべつに、スーパー的、コンビニ的な気安さ、使いやすさのあるメガストアが、共存するだろうと考えているのが、いいよね。

もちろん、なんでもお店の人と会話をしてから買い物をするような、というか、ともかく会話好きなイタリア人と、どちらかというとシャイな日本人とでは、お店との付き合い方も違うけど、個人店は個人店としてできる部分での特徴を強化していくことで上手に住み分けをしていこう、という考え方は、自分は好きだ。企業の規模で負けるなら、個人の知恵と知識でなんとかしよう、個人店レベルだからこそ可能なことを実行しよう、ということですよね。

実際は、それはきっととてつもなく大変なことなんだろうけれど、その意味で、東京・吉祥寺にあるブックス・ルーエの花本さんが「吉祥寺、書店共闘計画私案」で紹介している、「競合する書店同士が得意とするジャンルを互いに侵さず、より特化させて町全体として大きな複合書店として機能するようなモデル」(提唱者は永江朗さんだそうです)なんかは、とても面白いし、今後のためのヒントがあるような気がするなぁ。

書いてる途中で長電話をしてしまったので、何を書くつもりだったのかわからなくなってしまった。こんなんでよかったのだったっけ? まぁ、いいか。ともかく、近所に大手チェーン店ができたからうちはもう駄目だ、と簡単にあきらめるより、あるいは、そこに真正面から向かっていくより、他に取れる道があるかもしれない、そのための行動が自分たちはできるだろうか、と考えるほうが、その仕事が本当に好きなら、たいへんだけど楽しいよな、きっと、と思ったのだろう自分は、おそらく。


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2007/03/20

著者さんの力に頼るしかないのかな

カバー写真ここのところ、『新入社員が劇的に成長する3か月プログラム』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)の動きがいい感じらしいのですよ。新宿の紀伊國屋さんで。週に3~4冊はコンスタントに実売が出てるらしい。楽天ブックスさんでも毎週のように実売があるし。

たしかにね、時期的に新人教育が具体化する季節ですし、それも影響してるんだろうとは思うんだけど、発行されたの、もう半年くらい前ですからね。会社としては、営業担当者が書店さんにうかがったときにアピールはしているけれど、いわゆる「広告」とかはもうしてないというか、できないというか。

それでもここにきて具体的な動きが目に見えてあるようになってきたってのは、時期もあるし、本自体の持つ力もあるだろうけど、それと同等か、もしかしたらもっと大きな影響要因として、著者の中尾ゆうすけさんが1か月ほど前から連日、ご自分のBlogで著書の一部を引用し、それについての補足や解説を加える、ってことを続けてるからかなぁとか思ったり。もちろん、その際にちゃんと「出典」として自分の本の紹介・アピールもしてる。

本に書いてあることをただBlogに引用・転載するだけでなく、本に書いていないこと・書ききれなかったこと・発行後の話題などを付け加えて、解説・紹介する。本をベース基地にして、ウェブではそれをさらに発展させたり補足したりして、本の内容をより生き生きとしたものにする。こういうのって、楽しいよなぁと思うし、重要だよなぁと思うし、とくにビジネス系書籍の場合などはロングセラー化をねらうためのひとつのヒントだよなぁとも思う。『営業マンは断ることを覚えなさい(明日香出版社)や『社長、「小さい会社」のままじゃダメなんです!(サンマーク出版)石原明さんとかは、書籍とメルマガやウェブを上手にリンクさせることで書籍の鮮度や読者による理解度を「本単品販売」以上に表現したわけで、うまいよなぁと、やっぱり思う。

カバー写真ちなみに先週末あたりから、Amazonの「銀行・金融業」ジャンルにおけるランキングで『投信・個人年金セールス実践マニュアル』(楽天ブックスで買う)(Amazonで買う)が上位に来てる。今朝はランキングトップだったし。

この本も発行から3か月が経ち、非常に狭い範囲の読者層をターゲットにした商品であることもあり、最近ではこれといって目立った動きをしてなかった。もちろん、会社としても営業部による通常の書店さんに対するアピールしか最近はしていなくて(できなくて)、とくに広告とか打ってない。なのになんで、この時期に動きを見せたのか。

先週ね、著者の稲田英助さんが、全国の郵便局800局に、商品紹介のFAXを送付してくださったのだそうです。それが理由かどうかはわからないけど、それをやったあとの時期にAmazonでのランキングが急に上がったことは事実なわけで。


出版社は毎月何点もの新刊を出し続けなくてはいけなくて、だけど1人の営業担当者・編集担当者がケアできる点数には上限があって、そしてすでにみんな上限いっぱいのような状態で、だから1冊新刊が出たら何か1冊分のケアを捨てなくちゃならないのが実情で、実態として、直近の新刊と、既刊の中で飛びぬけて売れ行きのいいものあるいは営業担当者が特別な思い入れを持っているような商品以外は、なかなかケアしきれないわけで、発行から数箇月も経った新刊は「その他の既刊たち」と意識的には変わらないのでよほどよい成績を出していなければ積極的には販促しきれないのは致し方ないのですよ。発行初月と2ヶ月目でこれといって印象的な売れ方をしなかった新刊は、どうしても意識から薄れていってしまう。当然、「会社としての一般向け宣伝・告知」のための費用も、もう出してもらえない。

そんななかで発行から数箇月経った新刊や既刊があらためて動きを見せるには、もう「著者さんサイドによる断続的な宣伝・告知の力」に頼るしかないのかなぁ、資金力や体力のない中小出版社は。

著者さん、ごめんね。自分が制作を担当した本だから、もっともっと丁寧に、愛情込めて、いろいろなアイデアを使って、長く継続的・断続的に宣伝・告知したい気持ちはあるのだけど、でも、次の本の制作が始まると、次の新刊が発行されると、それで手一杯になっちゃうんです。自分も、会社も。意識も、費用も。


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今月新刊の宣伝。

カバー写真『ハヤリもの50年【昭和32年‐平成18年】』


楽天ブックスで買う
Amazonで買う

【1988年のハヤリもの】

《商品》
ファイブミニ(大塚製薬)
《本》
キッチン(吉本ばなな)
《マンガ》
東京ラブストーリー(柴門ふみ)
《テレビ》
教師びんびん物語(フジテレビ系)
《映画》
となりのトトロ(宮崎駿 / 日高のり子)
《音楽》
パラダイス銀河(光GENJI)
《流行語》
5時から男(高田純次)
《世の中》
ドラゴンクエストIII発売
東京ドーム完成
ミック・ジャガー初来日
など


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2007/02/27

雑誌そのものを広告にしちゃったのね、きっと


自分はマンガ雑誌を読まないので興味がないのだけど、先月創刊された無料の週刊漫画誌『コミック・ガンボ』はなかなか人気があるようですね。駅前で配ってるのを見かけるけど、ホットペッパーなどよりも受け取り率がずいぶん高いように見えます。無料誌とはいえ、内容も充実しているそうで。連載陣もそれなりに有名マンガ家さんらしいし(よく知らない)。

雑誌そのものは無料配布なので、当然、雑誌自体の販売とはぜんぜん違うところから利益を得なけりゃ制作費も出ないわけですが、どこからお金を得ているかといえば、当然のことながら広告費収入なんだろうと思います。んでも、それだけじゃなかったのね。

無料雑誌に連載されて人気になったマンガは、その後、単行本コミックとして販売すると。そこで、費用のいくばくかを回収するわけですね。さらに、連載マンガを原作とした映像化もすすめ、原作使用料収入を得ると。

なんとなく、こっちが主目的なのかな。単行本コミック販売と、原作使用料収入。そのための「広告」として、無料の週刊漫画誌をつくっちゃったわけかしら。のちに発売する商品の先出し広告? その広告自体の制作費を、他社からの広告費収入でまかなう。ひえ~。真似できないなぁ。

商品の一部を事前に無料配布って、化粧品とかの試供品セットなんかとなんとなく似てる。そういう考え方、やり方は、自分はけっこう好き。ただ、それを「本」でどうやってやるか、そもそも「本」でできるか、ということについては、考えたことはなかった。せいぜいネット上で立ち読み版を公開するくらい。でも、「本」が好きな人、「本」を読みたい人、「本」を買いたい人って、やっぱり「本」という形が好きだったりするのだよな、けっきょく。であれば、「本」の試供品はやはり「本」という形であるほうが喜ばれるし、効果もありそう。

本は好きだけど(自分では好きなほうだと思っているけど)、実際に書店に行ったり本を買ったりするのは年に数度というライトユーザーって、いっぱいいると思う。こういう人たちにとっては、実は「書店に行く」こと自体がけっこうなハードルだったり、「棚から本を見つけ出す」ことはもっと大きなハードルだったりするんじゃないかと最近思う。それはもう、「文章を読む」こと自体の煩わしさとかいったことよりも以前の、大きなハードル。このハードルを下げられれば、もっと身近に、簡単に、楽な気分で「本」に触れる機会や時間を増やせたなら、ライトユーザーが本に触れる回数や、(実際に読むかどうかはべつにして)本を買う(かも知れない)回数も、増えはしないかなぁ。

その手段のひとつとして、書店に行かないでも街角で手に入れられる、しかも無料で手に入る、そのうえ定期的に発行される「無料雑誌」という形態は、本そのものの「広告」の一形態として、もしかしたら可能性があるんじゃないかしら。情報誌やマンガだけでなく、ビジネス書系とか、文芸書系とかでもこういうことをやったら、おもしろいことになったりはしないかなぁ。

などと思う今日この頃なのでありました。


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2007/02/21

本である必要もないし、作家である必要もない

「パンダのため息」おもしろいな。「パンダ舎」(仮名)さんのような大出版社で働いてる人は、こういうふうに考えたり感じたりするんだぁということがかなりぶっちゃけ気味に書かれてて、参考になるような、ならないような(笑)。うちと違っていちおう所属会社は仮名になってるけど、思いっきりバレバレだし、なのにそんなこと書いてだいじょぶかぁと少し心配になったり。

それはともかく。

「ケータイ小説家たち その1」でケータイ小説の作者さんのことについて書いていて、その作者さんたちがプロ作家になるつもりはないといっていることに対し、Blog書き手の鞠小路まりさんは、

「このおふたりなどはそもそもなぜ小説を書いたのでしょうか?」

といっている。たぶん、プロになる気もない人がなぜ小説など書いたのか、という意味なんじゃないかと思うのだけど、そんなに不思議なことだろうか? それとも、ここであげられているふたりのケータイ小説作家さんのケータイ小説は、「書籍」という形でも発行されているようだけど、それに対し「本で小説を出しておきながら、プロになる気はないなんて、どういうことだ?」ということなのかしら。鞠小路まりさんの真意はよくわからないけど、プロになる気のない人がケータイ小説を書くことには、自分はぜんぜん不思議さを感じない。

よくあることですよね。思春期前後の若者がプライベートな小説やエッセイや詩とかをノートに書き留めることって。それと同じなんじゃないだろうか。それがたまたま、紙のノートに書くのではなく、ケータイに入力されただけなんじゃないかしら。ものを書き留める道具として、ペンとノートよりもケータイのほうが身近だっていうだけの理由で。

で、ケータイに書き留めたら、それがたまたま(というか、必然的に)デジタルデータだったし、そういうのを掲載してくれるスペースもあったので、置いてみたら、それを見つけた人たちにえらく好評だった、てだけのことのような気がする。

いまもあるのかわからないけど、たとえばマンガ雑誌とかの投稿イラストのページにイラストを送りつける人がみんなプロのマンガ家やイラストレーターを目指してるかというと、そんなはずはないよね。ただ描きたいから描いて、上手に描けたから誰かに見てもらいたくなって、掲示してくれそうなところがあったから送ってみただけの人も少なくないはず。それが評判になったところで、プロになろうとは思わない人だって多いでしょう。

趣味で作曲や演奏をしている人も、最近はインターネットで簡単に自分の音楽を配布できるからと、ウェブ上に音楽ファイルをアップしたところ、たまたま話題になってすごいダウンロード数を記録したとなったとしても、じゃぁプロミュージシャンになろうと考える人だらけかというと、そんなことないですよね。

ケータイ小説を書く人も、それと同じなんじゃないだろか。プロの作家になりたい(小説書いて稼ぎたい)とか、本として発行したいとかじゃなく、たんに「書きたい」だけ、たんに「書けたから公表したい」だけ。そして、自分の書いた「文章」を気に入ってくれる人がいるなら、それでいい。

だから、プロである必要も、本である必要も、ないんじゃないかなと。
そして、そういう人って、実はもう少なくはないんじゃないかなと。

なのに出版社を中心とした一部の制作側の人だけが、いつまでも「小説を書くのはすごい」「本を出すのはすごい」と思いたいのかもしれないなぁと。あるいは、世の中にそう思わせておきたいのかもなぁと。

本(という形)であることの必要性とか、価値とか、その他もろもろを高い地位においておきたい気持ちはわからないでもないけれど、また実際、その地位に耐えうるものもあるのだろうけれど、個人的には「本(という形であること)なんて、そんなにたいそうなものじゃないよな」と思ったりもするのだなぁ。


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2007/02/19

2週間程度でもいいから、リストを掲載してくれるといいのになぁ

某大手新聞社の広告局の人と少し話す機会がありまして。書籍の新聞広告もねぇ、最近はとくに効果があるのかどうかわかんなくてねぇ、あれだね、やっぱりウェブ広告とかにもちから入れていかんとダメだね、とか適当なことをぼやいてたんですよ。

ほんと、最近は新聞広告が多少なりとも効果を発揮してるのか、ほとんど実感できないようで。以前は、たとえば広告の切り抜きを持ったお客さんが来たよ、みたいな話が書店さんから聞けたり、広告見たんだけどどこで売ってる?みたいな問い合せの電話がそれなりにかかってきたり、といったことがあったようなのだけど、最近はそういうこともあまりないようで。

それはともかく。

新聞広告って、たった1日の掲載じゃないですか。たとえば朝、広告で気になる書名を見かけたのだけど、その日は忙しくて書店とかにいけなかった、書名もちゃんとメモらなかったのでうろ覚え、あとでもう一度確認しよう……と思ってたら次の日にはその新聞、すでに捨てられちゃってて、けっきょくうろ覚えなままだぁ――みたいなことって、けっこうあるんじゃないかなぁとか思うわけで。

もう20年くらい前の話だけど、書店でアルバイトをしてたとき、

「本を探してるんだがねぇ。昨日だったか一昨日だったか、○○新聞に広告が出てたんだよ。1面の、右下のあたりに載ってたんだけど、ある? 書名、なんだったかなぁ。出版社? 覚えてないなぁ。著者? 誰だったかなぁ。でも、○○新聞に広告出てたんだよ。わかるでしょ? 本屋なんだから」

といって社員を困らせている(^^;)お客さんを何度か見たことありますし。

そんでね、思ったわけですよ。新聞社さんのサイトに、書名と著者名だけでもいいから、自分のとこの新聞に広告が掲載された書籍の一覧がね、あればいいのになぁと。過去2週間分くらいでもいいから、1面の3段8分の1広告枠に掲載された書籍一覧を常時掲載していてくれれば、「2~3日前に広告で見かけた本、なんだったっけなぁ」ってときに助かるんじゃないかなぁと。

朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も、自社サイトに「書籍・読書」といったページを持ってて、そこでは紙面に書評が掲載された本が紹介されてる。次回の掲載予定なんかも掲載してるところもある。でもね、広告掲載書籍については記載がないのよ。

で、某大手新聞社の広告局の人がいうには、「何日か前に広告が載ってた本なんだけど、書名がわからなくて。教えてくんなまし」といった電話が読者さんから来ることも、けっこうあるのだそうな。でも社には広告掲載書籍についてのデータがない。なのでそういうときは本屋タウンの「新聞掲載一覧」ページで調べて回答してるのだとか。

新聞社さんとしては、掲載するのであればきちんと紹介コメントをつけてアフィリエイト等でネット書店にリンクしてお客さんの購買時ユーザビリティをあげるかたちで……というふうに考えているのだそうだけど、そんな時間も手間もお金もかかりそうな難しいデザインとかコンテンツ制作とかしなくていいので、単純に「うちの新聞ではこの2週間のあいだにこの本の広告が載りましたよー」ていう一覧表だけでも載せてくれんかなぁと思う。

新聞に広告の載った本をあとから調べるのに、本屋タウンを見てみようっていう発想は、書籍購入マニアなコアユーザーしか思いつかんだろう、普通。それよりも、広告を載せてた新聞社、あるいは、出版社名を覚えているならその出版社に問い合せるってのが自然だと思う。覚えている確実性からいえば、日常的に読んでいる○○新聞のほうが、たまたま広告を見かけた△△出版社よりは高いはず。やっぱり新聞社さんのサイトに一覧表がほしいよなぁ。

1面3段1/8の広告が、紙面での「単日」掲載だけでなく、書名と著者名だけでも(出版社名はなくてもいいです、この際)2週間程度にわたって「広告に載った本リスト」のなかに掲載されるなら、その程度でもいいのでリアルな「紙」とバーチャルな「ウェブ」での告知がつながりを見せるような方法を取れるなら、「新聞への広告出稿」にも魅力を感じるのだけどなぁ。


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2007/02/06

せっかく「ページをめくる」のだから

電子ブックって読んだことないのだけど、電子ブックの専用ソフトって「ページをめくるように読める」ということにえらく力を入れているというか、こだわっていることが多いようで。せっかく文字をデジタルデータにするのだから、デジタル上でアナログ的な見え方の再現をめざすより、なにかもっと「デジタルならでは」の見せ方を追求したほうがいいように思うのですけどねぇ。

たぶん、あれだね。電子ブックリーダーの開発をしている人たちがきっと「アナログの本が大好き」で、アナログをデジタルに置き換える以外の発想が出てこないのかな。たぶん、「アナログな本」なんてほとんど読んだことがなくて、文字や文章に接するのは最初からディスプレイ上(デジタルデータ)でした、という世代の人たちが開発者として、ある程度の決定権を持った地位につくような時代にならないと、電子ブックのブレークはないのかもしれない。

ちなみに、こう書房はデジタル系のことがまったく弱くて、電子ブックとかオーディオブックとか、会社としてはたぶん、ほとんど興味がない。ありがたいことに「電子ブックにしませんか」「オーディオブックにしませんか」という申し出をくださる企業さんがときどきあって、そういうときに話に乗るケースはあるのだけど、それだって「こっちとしては費用も手間もかからない」場合のみ。たぶん、デジタル化に際してなんらかの費用負担が発生するとしたら、「そこまでしてやる必要はないと思う」とかなんとかでスルーしちゃうのだろう。積極的に自社コンテンツのデジタル化や二次使用収入を考えるという意識はないな。残念だけど。

そんなわけで、たぶんまだこの先けっこう長い期間にわたって、紙の本だけをつくっていくことになるのだろう。1ページの字詰め・行詰めを決めて、全体のページ数を決めて、そこに本文テキストを流し込んで、適度に小見出しを入れたりして、約200ページ程度分の文章を「本」という形にまとめていくのだろう。

しかし、あれだな。電子ブックリーダーがこだわっている「ページめくり」に、アナログブックは実はあんまりこだわってないよな。物理的にめくらなくちゃ次に進めないので、あまりにも当たり前のこととしてスルーしてる部分もあるのだけど、せっかく「めくる」んだから、「めくる」ことの喜びとか楽しみとかを意識したいものだと最近思う。

ただダラダラとテキストを流し込んで、たまたま最後の行にきたからここでページをめくるなんてのは、思えば楽しくないよな。文章の途中でページが終わっちゃったからしかたなくてめくるんじゃなくて、めくってもめくんなくてもいいんだけどぜひめくりたいと思わせる形でページ内に文章を収める、てふうにならないものだろうか。

2ページや4ページで1項目読みきり、というスタイルは「めくりながら読む」ことのめんどくささや鬱陶しさを低減する方法として開発された部分もあるんじゃないかと思うのだけど、「めくりながら読むことをしないですむ」だけで満足するのでなく、「ある意味で完結しているのだけど次をめくりたくなる」を追求できれば、いわゆるライトユーザーな読者さんにもっと楽しく本を読んでもらえるんじゃないかなぁとか思う。

あ、ちなみにおいらは、本の市場をきちんと生きながらえさせていくには、ライトユーザーな読者さんをどれだけ上手に育成できるか、業界としてライトなユーザーさんに対応できる商品をきちんと供給できるか、がポイントなんじゃないかなぁと思ってる。

そういえば「フリーペーパーを手にするわけ」(ママさん編集者のぶらぶら日記)に、

「フリーペーパーのいいところは、無料ということに加え、わざわざ書店にいかなくても駅や立ち寄ったお店などで手に入れられること。書店に頻繁に立ち寄る私でもそう思っているのだから、その利点を感じている人も多いのでは?」

と書いてあったが、わざわざ書店に行かなくても入手できるというのはライトユーザーにとってかなり重要なポイントだと思う。内容やつくりといった「本の見せ方」の面だけでなく、販売方法や場所、読者にとっての「購入機会」の面でもそういった「敷居を低くする提案」のようなことを、真剣に考えたほうがいいんじゃないかなぁ。

しかし、読者が本に出会う場所や購入機会、方法などについては残念ながら、自分ではどうしようもできないことのほうが圧倒的に多いので、とりあえずは本のつくりや内容で、ライトユーザーな読者さんにもっと楽しく読んでもらえることを追求するしかないか。そのひとつのヒントに「めくりの積極的な活用」がありそうに思うのだけど、そのためには原稿執筆の段階から「めくり」を意識した文章構成を考えてもらわないといけないなぁ。

それ以前の大きな問題は、現状では、ライトユーザーさんを想定した本は、本以外のメディアミックス戦略などを真剣に検討して宣伝・告知等をしないと、まず売れないことだな。実際に本を買ったり読んだりするのは年に数冊だったりするけど本人的には「自分はけっこう本が好き」と思ってるくらいのライトなユーザーさんはすごく多いはずなのだけど、ライトなユーザーさんはめったに書店に来ないからなぁ。たぶん、広告を打つ場所とかがぜんぜん違うんだよな、こういう読者さんにアピールするには。でも、こういうユーザーさんをきちんと取り込んでいかないと、この先どんどんつらくなるんじゃないかなぁと思うのだけどなぁ。


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2007/01/17

サイズをあわせるのって重要なんだろうか

おっと。気がつけばもう1週間近くもBlog更新してないじゃあ~りませんか。

はい。お気づきのとおり、はまってます、おいら。作業がすすまん。作業が終わらん。カバー写真『世界一おもしろい日本神話の物語』(楽天ブックスで買う)(アマゾンで買う)もそうだったけど、どうしてこう、技術的に難しくはないのだけど手間と時間のかかる作業が大量に要求される仕事にはまりがちなのかなぁ。なんかもう毎日、気が遠くなりそうです。

んなわけで、しばらくBlogのことは忘れることにしてたのですが、さすがに1週間もほったらかすとなぁ、「退職したのか?」とか「逃げたのか?」とか「また遊びにいっちゃったのか?」とかいう話になりますと、この先のお仕事がしにくいので(^^;)。とはいえ、まだまだ作業は意識が遠のくほど残っているので、短めに。


うちでつくってる本の多くは「B6判」というサイズなのですよ。ときどき「A5判」という少し大きめのサイズの本もつくるけど、ほとんどはB6。会社は今年で創業30年だかになるらしいのですが、たぶん、創業当時からずっとB6が中心。

でもね、他社さんでは最近、B6判よりほんの少し大きめの「四六判」というサイズで本をつくることが多いのだそうで。四六判、もともとは文芸書などでよく使われていたサイズらしいのですが、いまはビジネス書も四六判が増えているのだとか。

で、他社さん発行の四六判の本と、うちでつくってるB6判の本が、書店さんの書棚に隣り合って並んだりすることがあるわけですね。そうすると、うちの本はちょっと小さいから、背の位置が少し奥まってしまうと。そうすると、となりの少し大きめの本の影になり、棚で沈んでしまうと。見つけにくくなってしまうと。そんなことを書店さんでいわれたとね、営業部がいってきたわけです。

自分は実際に棚でたしかめてないので想像しただけだけど、そういうこと、あるよな、きっと。サイズが小さいがゆえのデメリット。

逆に、少し小さいがゆえのメリットって、なにかあるんだろうか。たとえば新書だとか文庫のように、明らかに小さいのであれば購買動機も変わってくるだろうからメリットもありそうだけど、四六判とB6判ではほんの数ミリ程度しか大きさが違わない。その「数ミリの小ささ」によるメリットがあるのかというと、自分には思いつかないのだなぁ。

少なくとも「小さいことによるデメリットがある」という意見はあるわけで、それは裏を返せば「大きくすることのメリットがある」といえるわけで。だったら、今後はうちも大きくしちゃえばいいじゃん、とか単純なおいらは考えちゃう。

もちろん、大きくすることでなにかデメリットはないか、という検討も必要で、それで意見としてあがったのが、「過去の本(B6判)とサイズが合わなくなる。かといって、過去の本を増刷時に四六判にするのは金銭的・手間的に不可能というか、かなり大変なこと」ということ。要するに、同じ出版社の商品なのに、B6と四六という微妙にサイズ違いのものが存在するのは不適切だ、というわけですね。少ない時間だったのでこれしか出てこなかったのだけど、ほかに「大きくすることのデメリット」って、なにかあるのだろうか。

で、思う。べつに、既刊本と新刊本のサイズが多少違っても、いいじゃんって。サイズ違いの商品が混在したって、いいじゃんって。だいたい、以前に本文用紙を変えたときに、同じ本なのに刷によって束(ツカ。本の厚さ)が違うものが混在したことがあるのだけど、それはOKで、違う商品のサイズ違いはNGという根拠がわからん。

そもそも、ある出版社の本がどれも同じサイズである必要って、あるのだろうか。サイズが違う商品が混在することで困ることって、あるのだろうか。サイズが混在することによる販売上のデメリットって、あるのだろうか。

じっくり考えたわけじゃないけど、ないような気がするなぁ。それとも、自分の至らぬ考えの及ばぬ場所に、とてつもないデメリット要因が存在してるのかなぁ。

編集長がいうところによると、少し前から世の中の主流は四六判に移行してきているのだそうだ。だったらうちも四六判に移行したらいいんじゃないかと思うのだけど、過去の本とのサイズ合わせが気になって、そう簡単に「やりましょ」とはならないらしい。それに「たった1~2軒の書店さんがそういったからといって、そうする必要はない」と。

いわれたからやる必要はないけれど、もう少し広範な調査等は必要だけど、可能性として「より競争力が増す」かもしれないという提案なわけで、その可能性を棄ててまでB6判に固執する理由があるのかというと、自分にはわからない。書店の棚には四六判もB6判も混在して展示してあるわけだから、おそらく売り場ではサイズ違いの問題なんてないのだよね、きっと。とすると、社内的な問題なんだろうと思うのだけど、なにが問題なのかなぁ。


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2006/12/21

ブランディングを考えるなら、それに見合った内容の充実が必要だよね


うちで出してる本の背表紙にはアタマの部分にトリマーク(会社のマーク)が入ってまして、個人的にはこのマークがけっこうじゃま。

このマーク、もともとは台形を縦に半分にしたものを斜面を下に横向きにしたような赤地の中に白抜きでトリマークを入れるのが決まりだったのですが、この斜面が意外とじゃまっけというか、余計なスペースを必要とするのです。うちの本は比較的書名が長い傾向があって、ただでさえ背表紙に書名を全部入れ込むのが大変なのに、この斜面のせいで余計に書名表示用スペースが減ってしまうのは不合理だといったこともあって、最近は赤地を敷かずにトリマークだけを表示するケースが増えています。

で、下に赤地を敷かないトリマークも、もともとはコーポレートカラー(なんてかっこいいものじゃないけれど)である赤色で背表紙のアタマに配置するというのが決まりだったのですが、ご存じのようにビジネス書の場合、書名の前半にその本のキーワードとなるような言葉が置かれることが多くあり、そういったキーワードは黒文字ではなく赤い文字で目立たせようと考えることが極めて普通の感覚としてあったりするわけです。ところがそうすると、トリマークのすぐ下に目立たせるべきキーワードが配置されることが多くなり、キーワードの赤文字の効果をトリマークの赤い色が打ち消してしまうなんて事態が頻発したのですよ。

そこで最近は、トリマークの色を赤にこだわらず、書名の先頭とぶつからない色にするケースが増えてます。トリマークをなに色にするかは、カバーデザイン全体の色と調和させたり、黒塗りにしてみたりと、デザイナーさんの感覚で、ある意味適当に、好き勝手に色付けしてるので、いまではいろんな色のトリが背表紙で飛んでます。

しかし、会社のマークなのに色やデザインが統一されていないのはいかんだろう、という議論もけっこう前からありまして、営業部の方々はデザインをきちんと統一したい、編集部の方々はそんなにこだわらなくていいんじゃないの、というのがおおよその見解なのだけど、大きな前提としては「なんらかのかたちでマークはつける」という考え方があるようで、そんななか、書名表示のじゃまになるマークなんかいらんじゃんという自分の主張はほとんど相手にされてないような状態だったりします。わはは。

んで、「出版屋の仕事」の2006年12月20日の記事「社名の認知」を読んで、マークにこだわるのも広告掲載にこだわるのも、根底にある考え方はあんまり変わらないのかなぁと。

要は、ブランディングにちからを入れたい、ブランディングによって売上が上がるんだ、ということなのかなと思うのです。出版社のマークそのものを、出版社名そのものを、ブランドにしたいのでしょう。

きちんとブランディングすれば、たしかに消費者に対するアピールになることもあるでしょう。でも、存在告知をすることがブランディングじゃないし、マークを統一することがブランディングでもないはず。

ブランドは、信頼の証。信頼は、こちらから押し付けるものじゃなくて、お客さんが認めてくれるもの。内容も実質も伴わないのに「ネーム」だけ騒ぎ続けたところで、それが「ブランド」として認められることなんてありません。

ある範囲のお客さんに対し、なんらかのキャラクターを持ったものを提供し続けていく。そのお客さんがリピーターとなるような商品を提案・提供し続けていく。そのキャラクターが支持を受け、リピーターとなるお客さんが増えたときに、やっと「ブランド」としての資格が生まれてくる。その段階をふむ前に、戦略的にブランディングを考えるなら、その後の段階をきちんと計画に入れ、目標を定めてブレがないように商品投入を続けていくべきじゃないでしょうか。

その「ブランド」で提案・提供するキャラクターとはなんなのか、品質なのか、楽しさなのか、デザイン性なのか。そしてそのブランドは、どういうお客さんをターゲットにしているのか、そのお客さんのライフスタイルにどういった影響を与えることをめざしているのか。そういった計画と、計画実行のためのプランと、そのプランを実現する商品群なしに、ブランディングなんてできるはずがありません。

明確に絞った購買層に買い替えやステップアップを含むリピート購入が期待できる商品群を定期的に投入できて初めて、ブランドが意味を持ってくるのではないかと思うのです。しかし、そうできる出版社が、そうしている出版社が、日本にいったいどれだけあるでしょう。商品数は多くても、そのクオリティレベルは単品ごとにばらばら、対象購買層も単品ごとに違い、対象購買層は同じでも提案する方向性が違う... という状況でも「ネーム」だけ連呼しつづければ、それがブランドとしてお客さんに認知され支持されるなんて、ありえない。

なんとなく、いまだに「俺たちは“出版者様”だ」といった意識があるような、そんな気がするなぁなどとぼんやり感じたのでした。


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2006/12/20

お金を出して買いたいのは

初校製作作業が思ったほどサクサク進まずあせっている今日この頃ですが、みなさん寒いですか?(文脈が変)

「booplog」の新妻さんのコメントは、ときにえらく身体を張っているというか、ぶっちゃけていることがあって、けっこう楽しみにしています。メルマガでもはじけ気味(壊れ気味?)だし。

そして、もうひとつ。“老舗文芸出版社「パンダ舎」(仮名)で働いている「鞠小路まり」”さん(サイトに書かれている文章をそのまま持ってきましたが、どこの出版社だかバレバレですねぇ)のBlog「パンダのため息」も、なんだか全体にぶっちゃけ気味で、最近の楽しみだったりします。

んで、「パンダのため息」2006年11月29日30日に、図書館に対する不満?が書かれていたりしまして、同じく本を売って生活費を稼いでいる立場としてはまぁそうだよなぁとも思うのだけど、それってべつに図書館だけじゃなくマンガ喫茶とかも本質的にはたいしてかわらんよなぁなどとも思い。けっきょく、1冊の本を大勢で回し読みなわけで、てことは、マンガ喫茶に置かれちゃうとそこで読まれちゃって、書店さんでは買ってくれなくなっちゃう読者さんもいるだろうから、やっぱり出版社や書店さんとしてはマンガ喫茶もあまり快く思ってないのかなぁと思いきや、「いい書店、人気の本屋に学ぶ成功のヒント」2006年12月20日号では書店員さんが、マンガ喫茶の業者さんが来店して約1300冊(約69万円)分のコミックを買っていったことに対し「万歳!」「すごい!うれしい!」と喜んでる。この「業者さんによるお買い上げ」で昨年対比130%以上の数字になったそうで、そりゃ嬉しいだろうなと思う一方、そのマンガ喫茶はそのお店の商圏外にあるのだろうか、もし同じ商圏内のマンガ喫茶にそれらのコミックが納品されたら、書店におけるその後のコミック売上には響かないのだろうか、などと心配にもなったりして。でもメルマガ発行者さんの心配は棚からなくなった分の大量補充作業をするのがたいへんだ、ただでさえ残業続きなのに、という点に向かっているのがなんだかリアルでおもしろかったり。

なんとな~くだけど、おそらくそんな日が来ることはないのだろうけれど、パッケージとして、あるいはデータとして、物理的なカタチになってしまった「コンテンツ」にお金を払うことって、いずれなくなってしまうのかもなぁなどとも思う。

「文字になった言葉」は図書館やマンガ喫茶などで、さらに未来にはこれらの発展上に生まれるなんらかの新しいサービスで、誰もが無料で読んでしまう。たとえば「本」のようなカタチをしたパッケージを買う動機は、そこに書かれた「言葉」のためではなく、パッケージそのものを所有するため。インテリアやある種の美術品としてとか、重石や枕のかわり(^^;)としてとか、理由はわからないけれど、パッケージがほしいのであって、コンテンツがほしいわけじゃない。パッケージに興味がなく、中身のコンテンツだけに興味がある人は、コンテンツだけをどこかで無料で手にしてしまう。音楽だって映像だって同じ。それがデータやパッケージといったカタチになった段階で、コンテンツそのものは、どこかで無料で流通しちゃう。

お金を出して購入したいとしたら、それは「コンテンツ」じゃなくて「モノ」。なんらかのカタチとして固定された「コンテンツ」そのものは、基本的に無料で入手できてしまう。入手してしまう。入手したい、できるのが当然、と思ってしまう。

そんな姿が、おぼろげだけど未来像として頭に浮かんでしまう。

そうなったときに「コンテンツ」そのものを「売る」には、コンテンツが「カタチ」として残らないような状態に保つしかない。コンテンツ自体がデータとして残らないように。そうすると、もう「ライヴ」しかお金にならないのかもしれない。いま目の前でリアルタイムに進行していくコンテンツ。自分でその場にいって、自分の目で見て、耳で聞いて、身体で感じなければ得られないコンテンツ。そのときを逃したら、もう体験できないコンテンツ。流通できないコンテンツ。

もちろん、ライヴの「記録」は流通するだろう。でも、その「記録されたコンテンツ」の入手にはお金を払わない。記録されたコンテンツをパッケージングした「モノ」にお金を払うことはあっても。

それでも「カタチになったコンテンツ」にお金を出させたいならば、その「カタチ」自体が「モノ」としての所有欲を充分に刺激できるようにする必要があるのかもなぁ。それはたいへんだなぁ。それってけっきょく、「コンテンツ」じゃなくて「モノ」にお金を出してるだけだよなぁ。

などと役に立たんことを考えているヒマがあったらさっさと初校をつくれ! と自己ツッコミしてみる寒い夕暮れなのでした。


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2006/12/04

固有名詞はめんどくさい


編集部、自分以外誰も残っておりませぬぅ。3月発行の新刊制作に向けてひとりで黙々と残業してたら、社にやってこられた思わぬ著者さん(おいらの担当ではありませぬ)から思わぬ申し出をされまして今週金曜に思わぬ場所へご一緒することになったりした今日この頃、皆様お元気でいらっしゃいますか。

そんでもって、現在制作中の3月新刊。内容は、まだナイショですけれど、これ、もういやぁーってなるほどに固有名詞や固有の名称が原稿内に大量発生しているのです。

固有名詞&固有の名称、なかなかの曲者です。とくに「“音”でよく知ってる気がするものの名前」って、とっても危ない。たとえば、表記が漢字だったかひらがなだったかカタカナだったか(ex.君orキミorきみ?)、漢字の送り仮名(ex.行なうor行う?)はどうだったか、ナカグロや句読点の入る位置(ex.ハードロックorハード・ロック?)、音引きなのかかな表記なのか(ex.メイクorメーク?)などなど、「音」ではどちらでも変わらないのに「表記」では違いがある言葉がいっぱい。でも、それが「固有の名称」の場合は、やはり「正式な表記」で掲載することが、商業出版物には要求されますからね。

そういった「表記の揺れ」みたいなもののチェックって、すごく疲れます。正式表記についての知識が自分にあるものであれば、原稿の表記が正確か「揺れ」ているかもわかるけれど、そうではないケースのほうが多いですから。なので、逐一インターネットで複数のサイトにあたるなどして確認しなくちゃいけない。

インターネットもねぇ、サイトごとに表記が「揺れ」まくりです。どのサイトなら信用できるか、その判断もしながらチェックしなくちゃいけない。もう、目がしぱしぱ、肩がバリバリしてきました。

雑誌なんかだとね、意外とそのあたりの表記が「揺れ」たまま掲載されているケースもあるのだけど、いちおう「なんちゃって」とはいえ商業出版社の編集部所属の身ですから、「揺れ」た表記で掲載するのって、なんだか恥ずかしいと思ってしまうのですよ。

そんなわけで、今週は「正式名称チェック」に追われそうです。初校出し、間に合うのか? 初校を出したあとに校正紙上で「揺れ」チェックをしたほうがいいかなぁ。

あ、家に宅急便を届けたけど不在なので持ち帰りましたメールがクロネコヤマトから届いてる。いま帰れば今日中の受け取りに間に合うな。うん、帰ろう。


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2006/11/29

本屋さんには「内容の古い本」もけっこうたくさんあるんです、ごめんね

こういうことを「お客さん」である読者さんに要求するというか期待するのもメーカーとしてどうかなという気もしないでもないのですが、本を買うときは、少なくとも自分で中を確認できるリアル書店さんで本を買うときは、とくに法律や税金あるいは試験対策など「毎年のように改定・修正・変更」があるような内容について書かれている本を買うときは、ぜひ忘れずに確実にその本を買う自分のために、

「奥付の日付」

を見てから買ってください。

「奥付」って、たぶん業界用語だと思うのだけど、一般の読者さんはわかるのかなぁ。えっとですね、たいていの本ではいちばん最後のあたりにですね、書名や出版社名、著者名などがまとまって?表示されているページがあると思います。このページを業界では「奥付」と呼んでたりするのですが、その「奥付ページ」のどこかにですね、たとえば

2006年12月10日 初版発行

とか、

2004年3月14日 初版第1刷発行
2006年4月10日 第6刷発行

などという表示があるはず。あ、一部の出版社さんでは、こういった「刷表示」(と自分は呼んでいるけれど、正式名称かどうかは知りませぬ)をカバーのソデに印刷していたりもしますけれど。

それでですね、本を買うときはこの「奥付」の刷表示の「日付」を確認して、買っていただきたいのです。

ちなみに「2006年12月10日 初版発行(初版第1刷発行)」というのは、2006年12月10日に初めてこの本を世に出しましたよぉというような意味です(実際の発売日付は少し違ったりするのですが)。「2006年4月10日 第6刷発行」というのは、初版が出たのはもっと前だけど、2006年の4月10日に6回目の印刷をしたものを世に出しましたよぉみたいな意味です。

たとえば最初に2000冊つくったとします。これが「初版」分です。その本が売れ行きがよくて出版社に在庫がなくなり、まだまだ売れそうだなと出版社が判断すると、そしたらあと1000冊くらいつくってみようかとなります。こうしてつくられた1000冊が「第2刷」分です(おおざっぱな説明です)。

つまり、「第○刷」の「○」の数字が大きいほど、その本は「何回も刷られている」=「メーカー在庫がなくなって増産されている」=「売れている」と考えることができたりします(そうでないカラクリのある出版社もあるようですが)。

そして、その「第○刷」のところの日付を見れば、それがいつ印刷されたのかがわかるわけです。

当然のことなのですが、本に載せられる内容は、いくらがんばったとしても、その本が「印刷された日」=「奥付の日付」(実際にはイコールじゃないですけど)の1か月くらい前までの情報です。奥付の最新の日付が2006年10月10日第5刷発行だったなら、そこに書かれているのは、2006年9月10日くらいまでに明らかになっている情報だということです。なので、9月の後半とか、10月以降に新たに明らかになったことや、変更になったことなどは、書いてあるはずはないし、載せられるはずもないのです。あたりまえですね。

そして本は、雑誌のように「返品期限」があるわけではありません。雑誌の場合は返品期限があるので、本屋さんの店頭にある「古い雑誌」は返品され、「新しい雑誌」が店頭に並びます。そうした入換が頻繁にあります。

でも本は、基本的に返品期限がないので、古い本がいつまでも店頭に残っていることがあります。もちろん、気の利いた書店員さんや生真面目な出版社の営業担当者などは、古い本を棚に見つけたら、返品するように手配したりもするのだけど、すべての書店の店頭でそれが確実に行なわれるわけではありません。毎日数百冊も発行されるという新刊と、すでに棚にある何千・何万冊もの本の管理を確実に漏れなく行なえるほど書店員さんに余裕はなく、また出版社としても、全国に何千軒とある書店さんのすべての棚をチェックして回るほど営業員に人的余裕はありません(ちなみに、こう書房の営業員は3人で、この人数でいちおう北海道から九州まで出張等してフォローしてます)。

また、多くの場合、「出版社に」本がなくなったので増刷をしたとしても、その時点で「全国各地の書店店頭でも」本がなくなっているわけではありません。そうすると、ある書店さんの店頭には「第4刷」が在庫されている状態で出版社は「第5刷」を印刷し、「店頭で品切れちゃったから入れてちょうだいよぉ~」とおっしゃってくださる書店さんにその新しい刷を出荷したりします。すると、同時期に、書店さんによって「第4刷」が売られているところと「第5刷」が売られているところが混在しちゃうのです。

場合によっては「第4刷」印刷のときにも同様の状況があって、その前の「第3刷」と「第4刷」「第5刷」が同時期に市場に存在することも、めずらしくありません。しかも、それがごく近くに存在する複数の書店さんのあいだで起きることだってあるんです。

また、本には返品期限がありませんから、書店さんによっては、ずっと前に刷られただけで、その後に増刷のされていないような「古い本」も返品されずに棚に残っているケースがあります。何年も前に印刷された本が「新しい本のような顔」をして棚に陳列されてしまうこともあるのです(これは、書店さんが悪いわけではありません。現在の出版流通って、そういうシステムなんです)。

だから、本を買うときにはしっかりと「奥付の日付」を自分で確認していただきたいのです。その本が、いつ頃に刷られた本なのか。自分が必要としている情報は、そこに記された日までに明らかになっていることでいいのか、それとも、その日以降の情報が重要なのか。

奥付の日付を見ずに書名だけ見て買ってしまい、あとから「自分の知りたかった最新情報が載っていない」と気づいても、だからといって書店さんや出版社は返品や返金に対応したりは、基本的にしてくれません。奥付を見ればそれが「いつの時点までの情報を記したものか」が誰でもわかる状態で本は売られているわけですから、購入の際には必ず、それを確認しましょう。

本来であれば、それをお客さんである読者さんに要求するのは、いくぶん過剰ではないかとは思います。思いますが、現状のシステムとして、出版社も書店も「常にその時点での最新の刷を店頭にそろえる」ことができないので、読者さんに「自衛」していただくしかないのです。

しかし、ネット書店の場合はどうすればいいのだろう。奥付の日付表示をせずに本を売るのって、賞味期限を表示せずに食品を売るのに似ている部分もある気がするのだけど。

そういえば、出版社のウェブサイトでも、その本の最新刷りの日付とか公表しているところって少ない気がする。なぜかはなんとなく想像できるけど。


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2006/10/27

欲しいといってくれる読者さんのもとに確実に本を届けたい想いは同じはずなのに

今日配信の「いい書店、人気の本屋に学ぶ成功のヒント」0118号の最後のほうに、

また、出版社のせいで、書店の信用が落ちてしまった・・・。

という一文があり、すっかり哀しい気分になっている神楽坂の夕暮れです。いったいいつまでこうやって、おたがいに取引相手を疑い、憎みあい続けていくつもりなのでしょうか、この業界は。

ところで、書店用在庫と、一般用在庫を、出版社が分けて確保しているというのは、本当なのでしょうか。実際、そういう出版社もあるのかもしれませんし、このケースでの出版社は、過去にそういうことをしたという前例があるのかもしれません。でも、今回も本当に、出版社が書店用在庫と別に一般用在庫を持っていたのでしょうか。

お客さんが自分で出版社に在庫確認をした日は、メルマガの記載によれば、お客さんから書店さんに最初の問い合わせがあった日(書店さんが出版社に在庫確認の電話をした日)の「数日後」の「数日後」。具体的な日数はわかりませんが、この記載からすると、1週間くらいは経っているのかもしれません。

1週間あれば、返品が戻ってくるケースなんて、当然に考えられます。書店からの問い合わせを受けた時点では品切れでも、1週間後にお客さんからの問い合わせを受けた時点では返品による在庫があることは、非常に「ありえる」話です。このお客さんがひとりで同じ本を何十冊も買う、というのでなければ。

ただ、「ありえる」ことだけれど、ぜったいに「ある」とは言い切れない。なぜなら、いつ、どの本を、何冊返品するかは、書店さんが決めることだからです。出版社としては、可能性のあることとして推測することはできても、確実なものとして期待することはできません。だから、その時点でのある書店さんからの客注に対し「確実に出せます」とはいえないのです。この書店さんと出版社さんが、実際にはどのようなやりとりを電話でしたのかは、わかりませんけれど...

こう書房では、書店用在庫と一般用在庫という考え方は持っていません(よね?→営業部の方)。ただ、品薄商品の場合、書店さんからの客注および直販のお客さまを優先し、いわゆる「補充注文」の場合は品切れもしくは保留扱いにすることはあります。出荷しても返品される可能性がある「補充注文」よりも、確実に最終読者さんの手に本が渡る(買ってもらえる)可能性の高い注文のほうを優先するからです。それは、出版社の利益を守るという意味もありますが、それよりも、本当にその本を買いたいと思ってくれる読者さんのもとに優先的に本を届けたいと考えているからです。そのため、品切れ商品の返品が戻ってきた場合も、直販および客注分の保留短冊から優先的に出荷しています。

結果として、一方には「品切れです」といい、他方には「出荷できます」と答えるケースも、絶対ないとはいえません。そういう意味でいえば、二重在庫といわれても、しかたがないのかもしれません。

また、出版社には在庫がないのだけど、どこかの書店にはけっこうな数の在庫があるケースも少なくありません。ただ、その「どこかの書店さん」ではその本はあまり売れず、その本を欲している読者さんがいる地域の書店では品切れ。そこで出版社から直接買おうと電話をしたが、出版社にもない。だからといって出版社が、その「どこかの書店さん」に「返品してくれ」とは、なかなかいえない。そして本当に欲しかった人がその本の入手をあきらめた頃、その「どこかの書店さん」から返品が戻ってきたりする――というケースも、非常に「ありえる」話として存在するのです。

本は、出版社が直接抱えている=出版社が量を把握しコントロールできる「在庫(社内在庫)」とは別に、書店の棚に(いちおう名称は「買切」だったりもしますが、実情として)委託で置いてある=出版社が在庫数を把握できず、最後まで売られるのか返品の予定があるのかもわからず、返品される期日の予想もつかない「在庫(社外在庫)」があるのです。この意味での「二重在庫」が、商品流通を複雑にしているのですよね。

自分は他社さんのことは知りませんが、実際に書店用と一般用を分けて在庫管理している出版社も、あるのかもしれません。そうだとしたら、なぜ、そういう管理をするようになったのでしょうか。本を読者さんのもとに届けたい、読者さんに買ってもらいたいという点では、出版社と書店の利害は一致しているはずなのに、なぜ商品を別管理にしなくてはいけないのでしょうか。なぜ、別管理にすることで「出版社の利益」になる(と書店さんが考える)のでしょうか。

出版社が、書店を信用していないんです。
書店が、出版社を信用していないんです。
ついでにいうと、問屋さんも含めて、三つ巴で信用してない。
むしろ憎みあってる部分もあるともいえる。

なにか自分に不都合なことがあると、それを相手のせいにしようとする。
双方で問題解決の道を探そうというよりも、相手に対する愚痴や文句をいうほうを好む。
どちらか一方だけが悪いことなんて、ほとんどないのに。
誰かひとりだけが悪いことなんて、めったにないのに。

それでも、いわれてしまうのね。
出版社のせいで、書店の信用が落ちてしまったと。
自分の会社の利益しか考えていないと。
感じ悪いと。
それが実感なのでしょうか。
そして出版社も同様に、書店のことを思っているのでしょうか。
もちろん、そう思っている人がいたとしても、それは一部の人だと信じます。
だけど。
だけど...

少しでもよい本を、少しでも多くの読者さんのもとに届けたい。そのためのパートナーなのに。
その目的のために、それぞれにできること、協力すべきこと、たがいに力を貸しあえることを、探して、考えて、見つけて、実現に向けて一緒に行動すべきパートナーなのに。
なのになぜ、おたがいに不信の目を向け、憎みあわねばいけないのだろう。

すごく、哀しいよ。


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2006/10/24

本は形が完成しちゃってるのだろうか

ちょっと時間がないので、簡単に。

本って、少なくとも現時点では、本の形でしか読めないのが、それほど本が好きでない人にとってはきついところなのではないかなぁと思う。

音楽は、以前はLPレコードという「完成した形」があったけれど、そこから好きなところを抜き出してテープに録音したり、その際に好きな順番に並べ替えたりして、提供側が供給するのとは別の、ユーザー側が自分でつくれる「完成した形」にすることができた。その後、アナログ・データの音楽はCDでデジタル・データになり、「提供された完成形」の変更・アレンジがより簡単になった。さらにはデータそのものを単品でダウンロードできるようになり、よりいっそう「自分のスタイルに合わせて、好きな形、好きな順番で楽しむ」ことができるようになった。その一方で、もともとの「提供された完成形」である「アルバム」は、どんどん売上を落としてる。

映画は、劇場で大画面・大音響でも楽しめるし、少し待てばDVDとなり、家庭で好きなときに好きな格好で楽しめる。それほど思い入れのない作品なら、テレビで放映されるのを待ってもいい。最近はインターネットなどを使ったオンデマンド配信もある。同じひとつの作品でも、そのときの気分により、自分の好きな楽しみ方を選べる。

そして、音楽も映画も、友人などと複数で一緒に楽しめる。

では、本は?

たとえば小説であれば、最初はハードカバーの単行本、しばらく経って文庫本、といった入れ物の多様性はあるかもしれない。でも基本的に本は、完成された形として、提供側が供給したままの形をユーザーは受け入れるしかない。自分好みに「完成した形」をつくりかえられるわけでなく、同じひとつの作品がさまざまなライフスタイルに合わせていろいろな形で提供されているわけでもない。その本は、ただ「その本」として、そこにあるだけ。自分にあわせて「その本」を変えることができない。自分にあった「その本の形」を選ぶことができない。だから、自分が「その本」に合わせて変わるしかない。しかも、読書はどうしても個人的なものだ。自分ひとりで本に向き合うしかなく、友人たちと一緒に楽しむことができない。

本は、あまりにも形が完成しちゃっている。

本が好きな人は、そこが好きなのかもしれない。でも、それほど本が好きではない人にとっては、このある種の頑なさ、向こうからは歩み寄ってきてはくれない感じ、こちらの意向が相手にちっとも反映できない感じ、しかも孤独なのが、嫌なのかもしれない。

けっきょく「本」のキャラクターって、

俺の話を最後まで黙って聴け!

なんだよな。しかも1対1で。そう考えると、本が好きじゃないという気持ちも、理解できるように思う。

この「形」って、本当に完成形なのだろうか。この「形」の縛りからは、抜けられないのだろうか。ほかにもっと本を楽しめる、それぞれのライフスタイルや時間帯や環境や状況にあわせて友人などと一緒でも好きなように楽しめる「形」はないのだろうか。でも、それを追求し実現できたとしても、それはもはや「本」ではないのかな。

あぁ、もう出かけなきゃ。

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2006/10/23

どこに付加価値をつけていけるだろう

日経BPの「ITpro Enterprise」ページに、こんな記事が載っていた。

「情報はタダ」が若者の常識?

自分もインターネットを使いだして10年くらい経つし、その前はパソコン通信を使っていた。日本ではあまり(ほとんど)情報の流通しない、マニアックなジャンルの音楽ファンということもあり、必要な情報、知りたい情報の多くは、以前からコンピュータ・ネットワークを通じて、その筋に詳しい人(会ったことのない人も、知人も含む)や、外国から得ていた。そうした情報は多くの場合、通信費を除けば無料で、そのおかげでいったいほど多くの情報を手に入れ、どれほど多くの未知なる音楽に出会えてこれたことだろう。

そしていまも、必要な情報はインターネットを通じ、無料で入手している。そういえば自分、もうずっと長いこと音楽雑誌を買ってない。そもそも日本で売られている雑誌に自分が望む情報など載る可能性がほとんどないし、載ったところでどうせ1ページ程度。それ以外の「ほとんど必要のない情報」のために雑誌代を払うのはバカらしい。

すでに40歳を超えた自分でさえ、おおかたの「必要な情報」はインターネットを通じて無料で手に入れる、とりあえずは無料で入手できる情報をネット上で探す、というのがあたりまえの感覚になっている。いわゆる「物心」がつき、世の中への興味があふれ出す時期に、なにかを調べるための「あたりまえの道具」としてPCとインターネットが身近にあった世代の若い衆にとっては、そういう感覚がより「あたりまえ」であって当然だろう。

たとえばそこそこの年齢の人が、明日の天気が知りたいなと思ったときに「とりあえず177で」と考えるところを、若い衆は「とりあえずインターネットで」と考える。
ちょっと大きめの地震があったときに「NHKテレビつけて!」と考えるところを、「とりあえずYahoo!ニュース」と考える。

それを良い・悪いといったところで、もう元へは戻らない。受け入れるか、受け入れないか。認めるか、認めないか。世の中の出来事を知るための道具がテレビやラジオしかなかった時代には戻れない。各種情報をまとまった形で入手する方法が書籍しかなかった時代には戻れない。同じように、情報そのものにやたらと課金するような時代には、もう戻れない。

この先さらに、情報、というよりもコンテンツの提供に対して金銭を要求することに、不快感を持つようになる人は増えるのだろう。いわゆる情報だけでなく、映画も音楽も小説も、インターネットを通じフリーで楽しめるものが増えてきている。有料コンテンツと無料コンテンツのクオリティ差も、どんどん縮まってきているように感じる。

実際、書籍の世界では、インターネット上で無料で読めるものがほとんどそのまま有料の「書籍」としてリリースされたりしている。いまはまだ、文字や小説を読むときは書籍でという青春時代を過ごした人のほうが多いから、「本」という形にある種の憧れや尊敬のようなものを感じる人が多いから、わざわざ「本」を買ってくれる人も少なくない。でも、すでに青春時代にPC&インターネットがあった若者たち、そして、これから青春時代を過ごす若者たちは、「本」にそういった特別なものを感じてくれるだろうか。そもそも「本」に、そんな特別なものがあるのだろうか。

「知ったかぶり週報」のkajieさんは、“本は「売り買いするもの」という意識が強いから商売になるのだと自分は思っています。(中略)ディスプレイ上の文章に対してもカネを払う習慣ができるなら、一気に本は少なくなると思うのです。”といっている。そうなのかもしれない。でも、そもそも「文章に対してカネを払う」という習慣自体が薄れていくんじゃないか、文章を売買するという商売そのものが、少なくとも対コンシューマ間については、どんどん成り立たなくなっていくのではないかと、そんなふうにも感じている。

これから先、いままで「本」として売られてきたような内容や文章をウェブやBlogなどで無料公開する人は、さらに増えるだろう。もちろん、それを有料で公開する人もいるだろうが、たとえば現在でも、すでに有料の情報商材と無料のそれとのクオリティ差が実はあまりないことも少なくないという人もいる。今後、さらに「情報提供者」の数が増えれば、その差はいっそう縮まり、無料で良質な情報を得られる機会も増えるだろう。そうなったなかで、あえて「有料商材」を選ぶ人がどれだけいるだろうか。

それでも、あえて「本というかたちのものをつくり、売る」ことを商売に選ぶ理由は、どこにあるのだろう。これから先の世代の人たちが、あえて「本というかたちのものを、カネを出して買う」理由を、どこに見出すのだろう。

情報、文章、内容そのものは「無料で入手できる」と考える人が多くなっていくなかで、いったいどこに付加価値をつけていけるのか。どこにならお金を払ってもらえるのか。コンテンツのクオリティをあげる、内容のいいものをつくる、などといった曖昧で漠然とした、いつもどおりの答えでは、道は見つからないように思う。


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2006/08/30

どこが圧縮されるのだろう


「新文化」のサイトのニュースフラッシュ(8月28日更新)のところに、「日書連、マージン拡大に向け新取引提案へ」という記事がありまして。3行で概要が書いてあるだけなので詳しいことはわからないのだけど、注文生産・満数配本・返品ゼロを条件に、書店さんが35%以上のマージンが得られるように、出版社と交渉していく、らしいです。

書店さんのマージンって、ほんと少ない。だいたい15%~20%くらいでしたよね、たしか。学生のころにアルバイトしていた書店では、写真週刊誌(当時はたしか、150円か170円くらいだったと記憶してます。いまはいくらなんだ?)1冊だけを買ったお客さんには、できるだけ「袋に入れますか?」とたずねなさいと店長にいわれてました。そこには「できれば入れたくないんですけどねぇ」という気持ちがあるわけで、なぜなら、写真週刊誌1冊が売れたことにより書店が得られる利益の半分くらいが袋代として消えてしまうからなわけです。そんなわけで、書店さんのマージンをもう少し何とかしようという点には賛成なのです。

ちなみに、出版社から問屋さんへの卸値は、出版社の規模や歴史や売上などによって違いはあるようですが、だいたい60%~70%くらいのようです。大手出版社ほど卸値は高く、規模が小さかったり新興のところほど卸値が低い。儲かるところはより儲かり、儲かりにくいところはより儲けにくいという、しょうがないのではあるけれどちょっと涙目になりそうな状況です。

ということは、問屋さんのマージンは10%~25%くらいということなのかしら。そんなにべらぼうに多いわけじゃないわね。

んで、書店さんのマージンを35%超にしようと。これまでより15~20%くらい多くしようってことなのですけれど、その15~20%というのは、どこから削られるのかしら。やっぱり出版社の卸値からなんですよね。というか、そもそも「新取引を出版社に提案する」て書いてある。問屋さんの利益はそのままで、これまで出版社の利益となっていたものの一部を書店側に分配しようということかぁ。

うちの卸値が現行の20%減になったら、かなりきついなぁ。卸率低下による利益減少分を補填するために販売価格を上げるわけにはいかないだろうし、原価率を下げるにしても、あと削れるところはどこだ? すでに外注してた製作過程の大半は編集者が社内で自分でやるようになっちゃってるし、紙代や印刷代だって、そんなに下げられないよなぁ。いちばん大きいのは著者さんの印税だけど、これだって最近は、提示するのが申し訳ないくらい少なくなってきてて、これ以上下げたら誰も苦労して本なんか書いてくれなさそう。

うぅ、ますます小規模出版社は儲けにくいことになるのかも。

ま、「注文生産・満数配本・返品ゼロを条件に」とありまして、そもそも規模の小さな出版社が書店さんからの「注文生産」に対応できるのかとも思うわけで。それに「満数配本」も「返品ゼロ」も、書店さんとして「欲しくて欲しくてしかたがない」ベストセラー/ヒット作を想定してのことだろうから、うちには全然関係ないかぁ(←それもまた哀しくはある。ToT)。

などと思う今日この頃なのであった。


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2006/08/15

資金力のない出版社は

今日もやっぱり多くの飲食店が営業しておらず、あやうくランチ難民になりかけました。営業しているお店は、ふだんはたいしてお客さんの入ってないようなところも、けっこう満席で20分待ちとか表示してる。これは昨日に引き続き辛子つけ麺かとも一瞬思ったのですが、知る人ぞ知る(知らない人は知らない)赤城神社内の赤城カフェがけなげにも?営業していたので、無事にキーマカレーを食べることができました。よかったよかった。そして会社に戻る途中、社のごく近くにまもなく新しいトラットリアがオープンすることを発見。これまた楽しみです。よかったよかった。


それはさておき。


最近、あらためて思ったこと。

資金力のあまりない出版社は、法律とか税金にかかわる本は、つくっちゃいけませんね。

法律って、ほとんど定期的に改正されるじゃないですか。それプラス、臨時の?改正があったり、暫定的な処理があったり。税金も、もとになる税法が改正されたり、暫定処理があったり。

これらの法改正に毎回きちんとすべて対応している本って、ごくわずかなんだろうと思います。多くは、改正前の内容のものでも、知らんふりして書店に並んじゃう。

もちろん、法律の根幹にかかわるような大きな改正があって、本として根本的に使えなくなってしまったようなものは絶版扱い等にすることもあるけれど、周辺部分の細かな改正の場合は、「本の大枠には、大きく影響しない」という出版社側の勝手な理屈をつけて、そのまま売ってしまうことが大半だと思う。

でもね、大きかろうが小さかろうが、改正前の法律にのっとって解説された本は、改正後には役に立たないんですよ。本に書かれた内容の全部が役に立たないとはいわないけれど、間違いなく「役に立たない部分」がある。そして、本を買うお客さんのなかには、その「役に立たない部分」のことが知りたくて、だけどすでに役に立たなくなっていることに気づかないまま、買ってしまう人もいるはずなんです。なのに「(他の)多くの部分ではまだ内容的に役に立つから」と売り続けるのは、出版社側の勝手な理屈にすぎない。

法律関係の解説本はね、大きかろうが小さかろうがなんらかの法改正があった場合には、その部分をきちんと修正した版を印刷し、改正前の内容のものは絶版、少なくとも新規出荷停止にするのが本当だと思う。でも、現在の書籍の流通制度では、それはできないんですよね。出版社は、その本の「古い版」がどれだけ市場にあるのかわからない。それはつまり、どれだけの返品があるか予想がつかないということだから。

本って、出版社内にある(出版社が管理している)在庫は「社内在庫」などといったりするのだけど、書店とかに並んでいる自社本のことは「社外在庫」とか「市場在庫」とかいったりもするんですよ。自分たちの手元にないのに、すでに小売店の店頭で販売されているのに、それらも実際にお客さん(読者さん)の手に渡るまでは「在庫のようなもの」なんです。いつでも小売店から返品される可能性がある、販売が確定しない商品。だから、たとえ出版社内の在庫が全部市場に出て行ったとしても、安心できないんです。

法改正にあわせて、内容を修正して増刷した時点で「古い版」の販売を停止するということは、社内在庫だけでなく、どれだけあるかわらかない市場在庫の「古い版」も捨てる、ということ。それでどれだけの損失が出るのか、出版社には想像がつかないんです。日本全国のどこの書店にどんな自社本が何冊あるかというデータを、出版社は持っていませんから。

けっきょく、古い版は市場に残したまま、改正法に対応した新しい版を増刷する。市場では新旧の版が混在する。それに、改正時にすぐに増刷できるかというと、そうもいかない。旧版の社内および市場在庫がたくさん残っているようなときに、新たな在庫として新版はつくれませんからね。現実的に考えて。

ただ、これはすべて、あくまでも出版社の都合。ここには、読者さんにとっての利益はありません。

わざわざ本を買って法律に関するなにかを調べようという人です。そこにはそれ相応の大きな理由や目的があるはず。その理由や目的のために、正しい知識を求めて、本を買うはずなんです。なのに、出版社側の都合で、発行時点では正しかったかもしれないけれど現時点では正しくないことが書かれた本が、当然のように大量に流通してる。そしてそれを「しかたのないこと」と、これまた当たり前のように思っている。

こういうところが、出版業界には顧客志向がない、顧客満足に対する意識が極めて希薄だ、といわれるゆえんだと思います。マーケティングがどうのとか、流通システムがこうのという以前に、ね。

法改正に逐次対応して正確な内容の本を提供し続けていくのには、かなりのお金がかかると思います。そのつど、古い内容のものを販売停止にしていく(書店からの返品も受け付ける)となると、考えるのもおそろしい額が必要になるかも。でも、正確な内容が要求される商品なのだから、そうするのが筋。そして、それに対応できる企業だけが、そういう商品を提供するというのが本筋ではないのかしら。だから、それなりの資金力を持った出版社以外は、きっとつくっちゃいけないんですよ。

できもしないのに、無理して中途半端な商品を提供されるのがいちばん、お客にとっては困るんじゃないかなと思うのです。指定の日時にきちんと荷物が届いたためしのない某宅配業者とかね、ほんとに困るじゃん。指定どおりに持ってこれないんなら、最初から指定なんか受け付けるなって。

商品としての「本」って、ある部分で「特別」なものではあるけれど、その「特別」をいつまでも「特別」なままにしておいていい部分とそうじゃない部分があると思う。少なくとも法律関係書の「法改正前の内容のもの」をきちんと表示等せずに「新品」として流通させるのは、特別扱いしてはいけない部分だと思う今日この頃なのです。


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2006/08/02

理由がうまく見つけられない

日本全国梅雨明けしたそうで、これから暑苦しい夏がくるのかと考えただけでうんざりです(夏キライ)。高い気温と湿度がどんどんと体力・気力を奪っていき、すべてのことに対してヤル気が持てなくなる季節の到来だぁ。

うちらは商売として本をつくり販売しているわけですが、なぜそれが「本」でなければいけないのかという理由を自分はうまく見つけられずにいます。

本は、嫌いじゃありません。文章を読むのは好きなほうだと思います。でも、それが「本」という媒体である必要は、少なくとも自分にとってはありません。たまたま「本」でしか公表されていないから「本」で読むだけで、もしそれがウェブ上で公表されているならパソコンで読んでもぜんぜんかまわないんです、自分の場合。

ディスプレイ上で文章を読むのは、紙面の文章を読むよりも疲れる、という方もいます。実際、そうだなとも思います。でも、もしかしたらそれって、たんに慣れの問題かもしれません。

ディスプレイ上で大量の文章を読むのって、比較的最近に始まったこと。

いまでこそ、何でもインターネットで調べて読むのはかなり当たり前になってますが、そもそもパソコンが比較的誰にでも簡単に使えるようになったのってウィンドウズ95が発売された以降だと思うので、まだ10年しか経ってません。インターネットだって、以前はスピードの遅いモデムを使ってダイヤルアップでつなぎ、電話代を気にしながら使ってた。6年くらい前にやっとISDNだADSLだブロードバンドだと騒ぎ始めたわけだけど、一般家庭にADSLが普及したのってここ3~4年くらいのことじゃないかしら。

ブロードバンドによる常時接続が普及したから、ネット上の文章に毎日大量に気兼ねなく接することができるようになりました。でも、そうなってからまだ、ほとんど日が経ってません。それ以前の何十年ものあいだ、紙の上の文章を読むことに慣らされてきた人が、ディズプレイ上の文章を読むことにストレスを感じるのは、当たり前といえば当たり前のように思うのです。

でも、これからは、ブロードバンドのインターネット環境があることが当然の人たちが増えてきます。調べものはインターネットを使い、そこで文章を読むことを当然のこととして育つ人たち。そういう人たちは、ディスプレイ上で文章を読むことに慣れているでしょう。むしろ、紙の上の文章を読むことのほうがストレスかもしれません。

自分もインターネットを使い始めて約10年になります。そして現在、自分が文字・文章に接する量も時間も、紙よりもディスプレイのほうが圧倒的に多いのです。そして、それがべつに苦にならない。

それでも自分はいま、紙媒体の「本」に文章を載せる商品をつくっています。自分自身は「本」よりも「ディスプレイに表示されたもの」を読むことのほうが圧倒的に多いのに、わざわざ「本」というかたちのものをつくって、読んでくださいといっています。

では、なぜ「本」でなければいけないんだろう。

わざわざ「本」という形を選ぶのだから、そこにはそれ相応の理由があってしかるべきだと思うのです。「本」だからこそ伝わること、「本」だからこそ表現できること、「本」だからこそ効果があること、「本」だからこそ可能になること... そういうことを見つけていかなければいけないんじゃないかと。たんに(いまは)ディスプレイよりも本のほうが読みやすいから、というだけでは、「本」の未来はないのじゃないかと。文字として読みやすいというのは、アドヴァンテージとしてはすっごく小さい。

だけど自分は、その理由をうまく見つけられずにいます。

「いまは、まだ」本であるほうが多くの人に楽に読んでもらえるような気はしていますが、それがいつまで続くのか、長く続くのかというと、自信はありません。というか、こういう状態は、そんなに長くは続かないんじゃないかと思ってる。

他の出版社さん、他の編集者さんは、どう考えているのだろう。徐々にデジタル文書へのシフト(少なくとも、比重を増やす)ことを考え、何がしかの準備をしているのでしょうか。それとも、「本」という形を選ぶことの明確な理由を、「本」であることのアドヴァンテージを、見つけているのでしょうか。

自分は、「本」でもいいけど、「本」じゃなくてもいいなぁ。

などといったことを考えながら、早くメンタル・ダウンする夏が過ぎて食べ物が美味しく過ごしやすい秋が来ることを待ち望む今日この頃なのでした。


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2006/07/25

楽天ブックスさんで絶賛発売中!


カバー写真7月新刊の『新入社員が劇的に成長する3か月プログラム』(楽天で買う)(アマゾンで買う)。リアル書店さんでの出足はかなりゆっくりした感じがありますが、ネット書店さん、とくに楽天ブックスさんにはすでに大量に売っていただきました。具体的な数字は書きませんが、この本の単店あたり初月販売数としてはおそらく日本一? もしや、紀伊國屋さんのチェーン全店分よりも売れてるかもしれません。

今回は、こう書房としては初めて、著者さんと一緒に楽天ブックスの店長さん&バイヤーさんに会いにいき、著者さんの用意したキャンペーン用PDFの配布なども含めて、発行初月の1ヶ月間、楽天ブックスでこの本を積極的に売るための相談をさせてもらいました。その結果、発行前の段階で予約販売を受け付けてもらったり、注目図書にリストアップしていただいたり、特典つき商品としてそれようのページにも掲載してもらったり。もちろん著者さんもご自身のネットワークを活かして、ネット上での注文はできるだけ楽天ブックスさんに流れるような販促もしたわけですが、こうした販促が功を奏したのか、すでに先週の時点で当初の「月刊出荷目標」を達成し、もしかしたら月末には「目標の2倍」まで数字が伸びるのではないか、といった状態。

はじめてバイヤーさんとお会いして販促のお願い・打合せをしただけで、この本だけで通常時の楽天ブックスさんにおけるこう書房の平均月刊出荷冊数を、大きく超えてしまいました。

書籍販売全体のなかでのネット書店さんの売上比率は、2005年で3%程度なんだそうです。こういう数字を見れば明らかに、リアル書店さんの販売力で出版業界は生きているといえるのですが、でも、です。

日本には現在、16000軒くらいの書店さんがあるそうです。それに対して、いわゆるネット書店さんって、どのくらいなんでしょうか。大手としてはAmazon、セブンアンドワイ、楽天ブックス、Bk1といった感じでしょうか。それプラス、リアル書店さんが持ってるネット通販部門(紀伊國屋さんとか)といったところ? ネット通販部門を持っている書店さんがどのくらいあるのかわかりませんが、仮にそういったものを含めて100軒のネット書店があったとしても、販売所としての構成比率は0.625%。1%にも満ちません。なのに、売上高で3%もある。

もう、ネット書店だからとか、リアル書店だからと、業態ひとくくりで考えるのでなく、同じく自社商品を販売してくれる「書店さん」として、単店あたりの販売力を考えるべきですよね。

たとえば楽天ブックスさんの出荷冊数規模は、新宿の紀伊國屋さん本店と同じくらいだそうです。であれば、紀伊國屋さんにかけるのと同程度の営業活動を楽天ブックスさんにかけてもいいはず。うちではこれまで楽天ブックスさんと販促の相談をしたことがなかったので、楽天ブックスさんでの出荷冊数は紀伊國屋本店さんよりもかなり少ないですが、今回バイヤーさんとご相談したことで、今月はたぶん、紀伊國屋さんの月間売上数に肉薄すると思います。

もちろん、リアル書店とネット書店では、販促のしかたや考え方が違ってきますが、だからといってネット書店での販促はネット書店側にまかせておけばいいというわけじゃないはず。商品の特性によっては、リアル書店よりもネット書店のほうがあうもの、情報にたどり着きやすい・見つけやすいもの、買いやすいもの、といったものもあるはずです。そういったものをネットショップのバイヤーさんと相談し、おたがいに協力できる方法・体制をつくりあげていくってことは、すごく大切に思います。

ちなみに『新入社員が劇的に成長する3か月プログラム』(楽天で買う)(アマゾンで買う)については先週末、楽天ブックスさんが、過去に人材育成や人事等に関連した書籍の購入実績がある顧客に向けて、「こんな新刊が出てますよ」というレコメンドメールを出してくださったのです。そしたら、その反応がすごくいいと。バイヤーさんがおっしゃるには、これまでのレコメンドメールのなかでも図抜けて反応がいい、告知対象と商品内容がマッチすればここまでの反応が得られる=販売につながるのだと、楽天ブックスさん側としても貴重なデータとなったそうです。こちらとしても、発行からまもなく1か月が経とうとしているときにまとまって注文が入り、ありがたいかぎり。

そんなわけでこの本、発行初月の総買切数のうち、10%超は楽天ブックスさんでの販売ということになりそうです。

てなことを書くと「だったらこれからはネット書店とだけ付き合えばいいだろ」なんてイヂワルなことをいう人がいそうで、ちょっとこわい。もういいかげん、ネット書店とリアル書店を分けて考えるのはやめましょうよ。表現方法は違うけれど、どちらも「本を売るプロ」なのですから。


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2006/06/14

いまの読者は書店に「本と出会う場」を求めていないのかも...


少し前の記事なのだけど、「帰ってきた炎の営業日誌 杉江由次」6月7日が気になってます。

営業に訪れた杉江さんに対し、いかにして店頭にある本をお客さんに手にとってもらうかを考えるのは「書店員の仕事」と言い切る書店員さんが、そのあとにこんなことをいうのです。

「でもですね、それが最近まったく伝わらないんですよ。POPを書いても多面展開しても手にも取ってもらえない、素通りなんです。その代わりテレビでちょっと紹介した本とか、そんなのばっかり競い合うように買われていく。」
(「帰ってきた炎の営業日誌 杉江由次」6月7日より)

つまりこれは、この本を読んでほしいと、手にとってほしいと、売る側がいろいろな工夫をしても、書店に来るお客さんは、それをほとんど考慮しないと、書店に来た時点で、すでに「買う本」はほぼ決まってると、そういうことなのでしょう。

最近の読者さんは、もう書店に「新たな本との出会いの場」を期待していないのかもしれません。書店は「本に出会う場」ではなく、見本確認所&商品受け渡し所といった位置づけなのかもしれない。買いたい本に出会うのは、買いたい本を見つけるのは、書店ではなく別のどこか、テレビだったりネットだったり友人のクチコミだったりであって、書店には、現物の最終確認および商品引取りといった機能しか求めていないのかもしれない。

実際、なんの情報も持たず、純粋に「新しい本との出会い」を求めて書店に行っても、けっきょく手ぶらで帰ることになるケースって少なくありません。巨大な売り場、大量の新刊、大量の蔵書の中から「まだ見ぬ何か」を探したり見つけたりする時間的余裕なんて、ほとんどないですから。限られた時間のなかで、大量の書籍をざざっとチェックし、けっきょくピンとくるものを見つけられず、手ぶらで帰る。残るのは「時間を無駄にした」という想いだけ。

POPだって多面展開だって、その本が自分の望むジャンル・内容に関するものでなければ、まったく関係のないもの。ただのオブジェもしくは風景にしか過ぎません。それに、いまではそんなに目新しいものでもない、どこの書店に行っても目にするやり方だし。

そしてけっきょく、「書店に行くこと」自体が好きでない人は、何も得られないまま、店をあとにするのかもしれません。もしかしたら、読みたいと思う本すら自分で探せないことにある種の敗北感を感じながら。

「果たして次の販促方法はどんなものがあるだろう」と杉江さんはいっています。ほんと、どんなものがあるのだろう?

もし、多くの読者にとって書店は現物の最終確認&商品受け取りのための場にしかすぎないという仮説がいくばくかの真実を含んでいるのなら、書店以外での宣伝・告知を増やし、工夫するしかないのではないかしら。情報はテレビやネット等で、内容の最終確認と購入は書店で、という分業体制を強化していく、その前提に立ったビジネスの仕方を探っていくしかないかもしれません。

POPや多面展開で強烈にアピールをという点にこだわるなら、従来とはスケールの違う、規模の大きいものを試してみる。棚一面を覆うような巨大ポップや販促用展示アイテムを設置するとか、一定期間、売り場の半分くらいを使って同じ本を多面展開するとか、そのくらいのビックリ加減がないと、印象に残らないのじゃないかしら。

あるいは、「新たな本と出会う場」としての書店機能を復活させるための手立てを考える。

たぶん、いまの読者さんの多くは、コアユーザーじゃない。ヘビーなリピーターじゃない。コアユーザーは自分で本を探せるし、POPや平積みなどから「自分に会いそうなニオイ」を感じて新たな本に手を出したりするけれど、ライトユーザーには、そういうことが難しい。こうしたライトユーザーを、どうやってコアユーザーにしていけるか。誰かが「いい」といったからでなく、自分が「いい」と思う本を自分で探せるようにできるか。そのための工夫と、来店するお客さんに対するある種の教育が、書店さんには求められているのかもしれないなぁ。

でも、それにはかなりの時間がかかるでしょう。というか、「新たな本と出会う場」としての書店機能が復活する日なんて、もう来ないのかもしれない。

読者さんの多くが、ピンポイントの情報をもとに、ピンポイントで書籍を購入するのが現状なら、やはりピンポイントの情報をいかに多く書店以外の場所で提供できるかが、売れ行きを大きく左右することになるのでしょう。そうなるともう、書店さんの力だけではどうにもならないし、本の内容の持つ力だけでもどうにもならない。多方面での宣伝告知込みでの本づくりをしていかないと、たくさん売れる本にはなりにくいのだろうなぁ。

けっきょくは、本が多すぎるのがいけないのだと思います。ものが大量にあることに喜びを感じる段階は、もうとっくにすぎたというのに。大量にある商品のなかから自由に自分で選べることに喜びを感じる段階も、すでに終わりに向かっています。多くの人が、たくさんある商品のなかから自力でものを探すことに疲れてる。だから、自分の代わりに「信用できる誰か」の選択にゆだねたい。その「信用できる誰か」が、「テレビでちょっと紹介した本とか、そんなの」なのでしょう。

この「信用できる誰か」に書店自身がなれなかったことが、なんだか残念です。


続きを読む "いまの読者は書店に「本と出会う場」を求めていないのかも..."

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2006/05/11

萌えポイントの違いだったのか

うちの編集部には現在4人のスタッフがいるのですが、基本的にうちら、ふだんはほとんど会話をしません。朝晩の挨拶と、電話の取り次ぎ、必要な連絡事項の伝達くらいか。編集長とも、連絡や確認事項があったときに少し打ち合わせたりするだけで、ほとんど話さないな。

これは会議などでもあまり変わらず、たいがいは盛り上がらないんです。いわゆるブレーンストーミングみたいな会議は、まずない。企画会議でも、誰かがテーマを提案して、それはいいとか悪いとかいうだけ。そこから話が広がったり、ふくらんだり、思いもよらぬ方向に転がったり、といったことは、めったにありません。

今朝も企画会議があったのですが、全体にとても静かな会議でした。誰かの提案に対して、別の誰かがとくになにかをかぶせたりといったことはほとんどなく、社長が「いいんじゃない」「それは難しいな」といった時点でその企画についての話は終わり、みたいな。

そんななかで今日はめずらしく3度ほど、少しだけ話が盛り上がりかけたような、広がりかけたようなときがありました。しかし、自分も一緒に盛り上がれたのは、そのうちの1回だけ。K編集長も1回。社長が2回。唯一の皆勤賞?(3回とも盛り上がった)はS副編集長だけでした。

これ、なかなかおもしろいです。

盛り上がったのは、「社会的なテーマ」の企画のときと、「野球がらみのテーマ」の企画のときと、テーマとは関係なく「本のつくり・見せ方」の手法についてのとき。

社長は「社会的なテーマ」と「野球がらみのテーマ」に食いつき、K編集長は「野球がらみのテーマ」に多少乗り、自分は「つくり・見せ方」におもしろがる。S副編集長はすべてに食いつく。

S副編集長がいったのですが、本づくりに関して、それぞれの「萌えポイント」が違うんだなと。

たしかに思い起こしてみれば、自分はテーマそのものよりも、できあがりの本にどういう仕掛けができるかとか、そういった話のほうが好きなんです。そっちに萌えるんです。本文内に暗号を潜ませようとか、ぱらぱらマンガつけてみようかとか、ふだんは誰も見ない「カバーの下の表紙」におまけの項目を入れようとか、本におもちゃ的なエンタテインメント要素を加えられないかといった話が大好き。このジャンルでときどき、S副編集長とくだらない世迷言などを交わして無為に時間を過ごしてしまうことがあるのです。

しかし、このジャンルに乗ってくれるのはS副編集長だけなのです。当たり前といえば当たり前なのですが、自分のような「なんちゃって編集者」ではない、経験と実績のある真面目できちんとした編集者のみなさんは、テーマそのものについて考えたり話したりするほうが好きなようですし、また、そちらのほうが重要と考えているようです。萌えポイントは「つくり」じゃなくて「テーマ」なんですね。ま、実際、どんなテーマで本をつくるかの方が、おそらく商業出版では、間違いなく重要なんですけどね。

そんなわけで、あらためて自分は「企画をたてて、本になる原稿をいただくこと」よりも「手元にある原稿を、本という形のなかで楽しげに表現すること」のほうに興味がある、そっちのほうが好きだ、ということを認識したのでした。

う~ん、やっぱりこれって、いわゆる「編集者の本分」とは興味の対象が違うよねぇ。どうしたものか。


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2006/05/08

書評Podcastingで紹介されましたよん♪


最近サービスが始まった、ビジネス書を音声で紹介するNetVoiceというサイトがあります。

NetVoice

書評メルマガとか書評Blogとかはいっぱいあるじゃないですか。だけどこれらって、基本的にはパソコンで読むわけですよね。となると、デスクに座って、パソコンたちあげて、アクセスして... と、まぁそれなりに準備が必要なわけです。

そこでNetVoiceは考えた。書評を「読ませる」のではなく、「読んで聞かせる」音声ファイルにしちゃったらどうだろうかと。そんでもってPodcasting配信しちゃえば、まぁアクセスする手間はかわらないのだけど、ダウンロードしたファイルはiPodとかに入れて簡単に持ち運べるし、混雑した電車の中でも聞ける。

ふふふ。こういうふうに考えて、実行しちゃうあたりが、どっぷりと「活字世界の中だけ」で暮らしてきた出版社には意外とできないことだったりするのですよ。本は読むもの、字は目で追うもの、というのが当然のこととして意識に染み付いてるからね。だから電子ブックも「どうやって読ませるか」「どんなふうに文字を表示するか」といった範囲から抜け出せない。

だけど、若い人たちは違う。そういった「強い思い込み」が本に対してないから、もっと自由に、使いやすく、楽しく、さまざまなエンタテインメントをミクスチャーして自分なりに便利なかたちをつくりあげたりしちゃう。たとえばアナログのLP/SPレコードの世界にどっぷり浸ってきた人には、最近の携帯mp3プレイヤーなどを発想するのは、ほとんど無理に近いと思う。だけど、最初から音楽が「CD」だった人たちには、こういうものがつくれるんだよな。

NetVoiceのサービスが今後どこまで受け入れられ、愛されていくのかはわからないけれど、こういう動きが「本の世界」にも入ってきたことが楽しいな。きっと、こういうのに拒否反応や嫌悪感を持つ人もいたりはするだろうけれど、そういう人は使わなければいい。

自分個人は、実はけっこうアナログよりで、いまだにiPodとか持ってないのだけど、なのでPodcastingそのものも使ってないのだけど、こういったサービスが最初から当然のように身の回りにある世代、それは間違いなく自分らよりも若い世代だと思うけど、そういった世代にうちらの本の情報が届くかもしれない、書店にはこないけどネットで書籍情報を探すような人たちにも届くかもしれない。そう考えると楽しいな。

ちなみにうちの本も(いまのところ)1冊紹介されてます。

『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』NetVoice版(本の詳細はこちらから)

音声で紹介するという性格上、法律や税務・経理といった、いわゆる実務書はなかなかむずかしいけれど、読み物的な要素のあるものは今後も紹介してもらえるかもしれない。楽しみにしておこうっと。

ちなみに書評の文章は女性アナウンサーが読んでくれるのだけど、名前だけで顔とか見られないのがちょっと残念。せっかく最近のiPodは液晶つきで動画も見られるようなのだから、ここはひとつ、見目麗しい女性に画面に登場してもらえると、さらによいのではないかと思うのであった。滝川クリステルとまではいわないからさ。(←おっさんの考えることってやーね)。


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2006/04/27

実際そうなのだけど、当然のことのようにいってほしくはなかった


「いい書店、人気の本屋」というメールマガジンがあります。最近読み始めました。これの「0093号 太洋社さんのアドバイス編」(2006年4月26日発行)を読んで、ちょっと哀しくなりました。

内容は、いいんです。太洋社さん(本の問屋さんのひとつです)の方が書店さんに行って、どうすればもっとお客さんに喜ばれる売り場になるか、書店で本を買うことを「楽しい・おもしろい」と思ってもらえるか、といったことをアドバイスしてくれたといったお話です。本の問屋といえば日販とトーハンという巨大な2社でほぼ寡占状態になっているのが現状ですが、そんななかで太洋社は、いくぶんこじんまりした中堅企業ならではの行き届いたサービスを取引書店さんに提案・提供してるんだなと感じられます。

ただ...

コミック売り場にて。たぶん、このお店ではコミックにシュリンクをして、中が見られない(立ち読みできない)ようにしているのでしょう。最近はどこのお店もそうですね。ただ、それだとお客さんが中を確認できません。中が見られないがゆえに、新しい本との出会いができない、発見ができないこともある。だから1冊、中が見られる見本を置いたほうがいい。そうすればお客さんはもっと買ってくれる... というアドバイスをします。

ここまではいいんです。でも... 以下、太洋社さんのセリフを引用。

もし何回も読まれてボロボロになってしまったら返品してもらって結構なのでリスクもほとんどありません。

さらにコミック売り場の担当さんへのアドバイス。売れてる本とは別に、担当さん自身が「おもしろい」「読んでもらいたい」と思う本を、スペースをとって大々的に宣伝することをすすめています。売り場担当者がおもしろいと思った本は、ほかにもおもしろいと思ってくれるお客さんがいるはずだし、そういうお客さんが見つかると書店員としてのやりがいにもつながるでしょといってます。だから、そういう本を売り場で見せる「仕掛け」をもっとしましょうというわけです。

ここまではいいんです。でも... 以下、太洋社さんのセリフを引用。

出版社と直接交渉して、ちょっとしたスペースでフェアをやるのもよし、売れなくてもよし、です。
(中略)
とりあえず、一度やってみてください。売れなくても損はしませんから。

そりゃね、書店さんは返品すれば、損はしないでしょうよ。太洋社さんも、書店から返ってきた本を出版社に返品すれば、損はしないでしょうよ。でも、うちら出版社は?

たしかに本は返品自由です。だからこそ、売れるかどうかわからないような本でも書店の店頭においてくださるという事情はあります。

でも、商売でしょ? 売れる、売りたいと仕入れて、精いっぱいの販売努力をして、その結果どうしても売り切ることができなくて、「がんばったんだけど残ってしまったよ、ごめんね」と返品になるのであれば、「こちらこそ店頭スペースをご用意いただいたのにご期待に添えなくて、ごめんね」という気持ちにだってなります。だけど、最初から「売れなくてもよし」なんて気持ちでフェア注文出されちゃ、困るんですよ。「売れなくても損はしない」なんて気持ちでうちらの商品を扱われちゃ、たまらないんですよ。

こういうことを問屋さんが小売店にいっちゃ、いけないと思うんです。実際はそうだったとしても。

見本用の本だってね、その1冊のおかげで何冊も売れることもあるだろうから、別にボロボロになったからって返品されたって、かまわないんです。作り手側としてはね、よしよし、よくがんばってきたなって、そのボロボロになって返ってきた1冊をねぎらってやるくらいの気持ちはもてるんです。でもね、それはその本が精いっぱいお仕事をしてきたあとの話でしょ。はじめる前から「ボロボロになったら返せばいいから」とか、いってほしくなかった。

ちなみに、見本用の本って、要するに食品スーパーとかでいえば試食品ってことですよね。焼肉だとか果物だとか、お客さんに配ってますけど、あの試食分って、メーカーが無償提供してるんでしょうか? スーパーで働いたことがないので知らないけれど、たとえばイチゴの試食とかって、普通に販売用としてお店で仕入れたイチゴを1パック破いて試食皿に出してるのではないのかしら。

たとえばトマトとか、棚でつぶれちゃったりすることありますよね。心無いお客さんが指突っ込んで穴あけちゃったり、積んであったのが崩れ落ちて割れちゃったり。そういうのって、もう売れないけれど、だからといって問屋とか生産業者とかに返品はできないですよね。

本は、痛んだら返品できるんです。経年変化による自然な痛みだけでなく、誰かが痛めちゃった場合でも、返品できるのです。出荷側(出版社)に落ち度がなくても返品が可能なんです。普通の物販で考えたら、おそらくありえないと思うんですよ。それを甘んじて受けているのは、いつでも返品が可能というシステムによる別の恩恵もあるからです。だけど、本音をいえば、返品なんてしてほしくないわけですよ。だって、新刊配本は別にして、その他の本については基本的に出版社と書店の同意のうえで、もしくは書店側の意志に基づいて、出荷してるわけですから。「この本をおたくで売ってください」「オーケー」という約束、あるいは「この本をうちで売らせてね」「オーケー」という約束のうえで出荷してるんです。

なのに、問屋さんが「売れなくてもいいから、入れてみなよ」「売れなかったら返しちゃえばいいんだから、やってみなよ」「どっちにしろ、おたくは(もちろん、うちも)損はしないんだからさ」なんてことを、小売店にいってほしくはなかった。しかも明白に、あたかもそれが前提であるかのように。

もちろん、太洋社さんにも、書店さんにも、悪気はないと思います。それよりも、いかにしたらもっとお客さんに喜んでもらえるお店にできるか、本をたくさん買ってもらえるようになるかって、一生懸命考えて、行動してくれてるんだと思います。だけど、こういった、あまり注意をはらっていない「言葉」って、その言葉だけが意識に浸透してしまうことがよくあります。注意をはらっていない分、その真意が置き去りにされてしまうんです。そして残ったのが「売れなきゃ返せばいい、どうせうちは損しないんだから」では、あまりに哀しすぎる。

せっかくいい内容のメールマガジンだったのに、残念さいっぱいの読後感になってしまいました。


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2006/04/21

携帯電話でっていうのは、ほんとにもうすぐ普及するのかも

先日、知人が新しく買ったという携帯電話を見せてくれました。なんか、二つ折りになってるやつで、その状態で片面ほぼ全体が液晶画面になっているの。すごい。最近の携帯電話って、こんなに大きな液晶がついてるんだ。

あ、以前からここをお読みの方はご存じのことと思いますが、おいらは携帯電話を持っていません。自分で買ったこともありませんし、会社等から支給されたこともありません。なので、いまもって携帯電話の使い方がわかりません。基本的な電話のかけ方・受け方・切り方すらわからない... だいじょうぶか、おれ?

そんなところへきて、この記事です。

携帯電話でマンガ?女性が支えて人気者(ジャパン・インフォメーション・ネットワーク・ビジネス・ニュース)

4月14日に書いた「Podcastにしたらどうかしら」、4月18日に書いた「もしや、パクられたか!?」で、本を「音声」にしてPodcastingなどという適当な思い付きを披露しましたが、それよりも先に、まずは「字をあんまり読まなくてもいい本」を携帯の液晶で読む、というほうが普及しそうですね。たしかにあれだけ大きな液晶がついているなら、マンガなどは携帯でも読めそうだ。最近の液晶は映像も綺麗だし。

とはいえ、やはり「文字中心の本」は、あのサイズの液晶画面で読むのはつらそうだな。短文メインのショート・エッセイとかならだいじょうぶかもしれないけれど。

そんなわけで、やっぱりおいらは携帯電話やiPodなどを使った「本の音声配信 with 必要な図版などは液晶で見てね」スタイルの発展・普及を期待し、応援しようと思います。誰がやろうとしてるのか(誰もやろうとしてないか?)わかりませんが、おいらの知らない誰か、がんばれーっ!

ちなみに、「もしや、パクられたか!?」に、一応出版関係者さんがコメントをくださいました。アメリカでは「本」をCDやカセットで聞くというのが、すでにあるのだそうです。『ハリー・ポッター』『指輪物語』も音声版があるらしい。

そういえば、思い出しました。そのむかし、ネットワーク・ビジネス(MLM)本の制作を担当したことがあるのですが、そのMLMの新規会員獲得用便利アイテム?のなかにカセットテープがあったことを。そして会員獲得ノウハウを書いたマニュアルの中に「ともかくカセットを渡して、聞いてもらえ」というようなことが書かれていたことを。テープには、新規会員獲得のプロ?みたいな人が、そのビジネスの魅力や将来性、成功の可能性などを、わかりやすく、相手の心に訴えかけるように話しているのが録音されているのです。

車社会のアメリカでは、仕事に行くにも遊びに行くにも買い物に行くにも、多くの人はクルマに乗って出かけます。日本にくらべて、一般的にクルマに乗っている時間がすごく長いのだそうです。で、その時間に、クルマの中で、カーステで聞いてもらえと。ふだん聞いているラジオやテープの代わりに、ためしに聞いてもらえと。そうすれば、あなたが自分で(苦手な)説得・説明をしなくても、相手はきっとビジネスに興味を持ってくれる。だから、会員獲得グッズとしてテープを使いなさいと、そのMLMでは指導していました。

おそらく日本では、そこまで車社会になることはないでしょう。少なくとも東京や大阪などの大都市では、クルマよりも電車を使ったほうが便利だし。ただ、田舎のほうにいくとクルマなしでは生活できないというようなところもあるようで、そういう地域ではアメリカのように「カーステで聞く本」を上手に普及させることはできるかもしれない。

そのむかし、なぜ電車の中で本を読む人が多かったのかというと、べつに本好きな人がいまよりもすごく多かったというわけではなく、本くらいしか「外に手軽に持ち出せるエンタテインメント」がなかったからだろうなと思うのです。その他のエンタテインメント、たとえばお芝居にしても活動写真(映画)にしても音楽(レコード)にしても、しかるべき場所でしかるべき環境を整えないと楽しめない。だけど本だけは、とくに文庫本は、軽くて小さくてどこにでも持っていけるし、その「本」だけで完結できる。電車の中で楽しめるエンタテインメントは、本しかなかったのだろうと思うわけです。

でも、そのときに本を読んでいた人が、本以外のエンタテインメントに興味がなかったかというと、そうじゃないだろうなと。電車のなかでは「本しか」楽しめないから本を読んでたけれど、ほかのエンタテインメントも楽しめるのなら、本である必要はない、ほかのエンタテインメントを楽しみたいという人もいたんじゃないかと。おいらのことですけど。

それでも少し前までは、まだ「文字」(本)と「音」(音楽・ラジオ)くらいしか軽くて小さくて手軽に持ち出せるエンタテインメントがなかったのだけど、今後は総合エンタテインメントである、エンタテインメントの王様である「映像」(テレビ・映画)も同じくらいの手軽さで持ち出せるようになってしまいます。そうなったとき、どれを選択するかのひとつの理由はもちろん「どのエンタテインメントが好きか」でしょうが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に強い動機に「どれがいちばんストレスが少ないか」があると、おいらは思うのです。

これからヒットする商品やサービスは、消費者のニーズに応えるものではなく、消費者のストレスを減らすものだ... といったのは誰だったか忘れましたが、おいらは共感します。

文字を読むのは、音を聴いたり映像を眺めたりするよりも、大きなストレスのかかる作業です。ただでさえ仕事ばっかりしてて疲れているからだで、混雑した電車というストレスのかかる場所で、ストレスのかかる作業はしたくないでしょう。

携帯電話でマンガを読むというのは、音楽を聴いたりDVD/テレビを見るよりもストレスのかかることだと思います。でもマンガには、音楽やテレビに負けないくらい根強い人気があります。そして携帯で読むマンガは、「ぜったい必要な携帯電話のほかにマンガ本も持っていく」ストレスとくらべると、携帯電話だけで済む分、ストレスが少ないんじゃないかとも思うのです。携帯電話だけで完結できるという意味では、音楽・テレビと並べるのではないかと。

その結果、いままで「本」で読んでいたマンガを「携帯電話」で読むというスタイルが普及すれば、それが「マンガ以外の本」にも波及する可能性がないかなと。先にできあがった「携帯電話を使って楽しむ」というスタイルの中に「本」というコンテンツを投げ込んでいけるんじゃないかなと。そのときに、ヴィジュアルという強みがない「マンガ以外の本」がマンガよりもストレスなく楽しめるためには、やはり「音声配信」なんじゃないかなと。いまは専用のプレイヤーソフトなどが必要なPodcastingではなく、国民の大半が持っている携帯電話で直接簡単にダウンロードもしくはストリーミングで聞けるようになれば、けっこうマーケットはあるかもしれないなと。

そんなことを考えるここ1週間ですが、携帯電話も持ってないしPodcastも利用していないおいらですので、すっごく大きな勘違いかなとも思う今日この頃です。


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2006/04/19

入手方法が増えるのはいいことだ


楽天ブックス、使ってます? 自分は、以前は本はAmazon.co.jpで買うことが多かったのですが、最近は楽天ブックスを使うことが増えてきました。送料無料キャンペーンがやっぱりうれしいし(今月まででしたっけ?)、それに楽天ポイントもつくしね。

その楽天ブックスが、購入した商品(本、CD等)をファミリーマートで受け取れるサービスを夏ごろから始めるのだそうです。その後もファミマで受け取れば、送料・手数料とも無料らしい。会社のすぐそばにファミマがあるので、便利だ。そういえばこういうようなサービス、セブンアンドワイもやってたな。近所にあるコンビニがセブン‐イレブンの人は、こっちを使うとやっぱり送料無料。

一方Amazon.co.jpは、これまでカードか代引しかなかった支払方法を拡充。コンビニ・ATM・ネットバンキングでの支払いもOKになったらしい。手数料無料。カード支払いはいやだけど、代引で手数料を余分に払うのもいやだなという人には、うれしいだろう。

ネット書店、がんばってるな。こうやって「本の入手が楽になる方法」がいろいろな形で提供されるのはいいことだ。

ネットショップでの買い物は、買いたいものが決まっているときにはとても便利。すぐに検索できるし、買えるか買えないかもたいがいその場ですぐにわかる。わざわざ書店まで出かけていって、棚にあるかどうかもわからない本を時間をかけて探し、見つからないからと店員さんにたずねようと思ってもレジで忙しそうにしている人しか見当たらないので申し訳なく思って聞けず、けっきょく見つけられずに店をあとにするなどという、時間と労力と場合によっては交通費を無駄にするようなことがないので、本当に便利極まりない。

でも一方で、ネットショップには「商品との出会い」の楽しさがあまり味わえないという弱点がある。こんな人のこんな本も出てるんだぁということにその場ではじめて気づく、といった部分での「お買い物の楽しみ」は、現状のネットショップではなかなか味わえない。

ネット書店の持つインターネット技術とカタログの豊富さ、物流のスピーディさは、リアル書店にとってはうらやましくもあり、脅威かもしれない。だけど、デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログの特性があり、それぞれに強いところと弱いところ、便利なところと不便なところがある。

ネット書店はそれをすでに知っていて、ネット書店の強みを活かしつつ、リアル書店のよさをなんとかネット上でも表現できないかと、日々研究し、努力してるように感じる。だけどリアル書店は、リアル書店のよさ、強みというものを、実はあまり理解していない、考えたことがないのかな、と感じることがある。そしてむやみにネット書店を怖がり、敵対心を持ち、攻撃したがるところがないだろうか。

ネット書店の得意分野でリアル書店が張り合っても、意味のないこと。リアル書店ならではの強みを考えてほしい。そして、リアル書店であることの強みに自信を持ってほしいな。

これまでは、ネットの世界にあまりにも疎い人が出版業界には多かったのだろう。でもこれからは、子供の頃から当たり前のようにネットがあるなかで育ち、ネットの世界もリアルの世界も素直に見て、それぞれのよさを理解したうえで、自分たちにできること・すべきことを考え実行していく、若い人が中心となったリアル書店さんも増えていくことだろう。そうなることを期待している。


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2006/04/18

もしや、パクられたか!?

あいかわらず風邪は治らず、薬を飲んでいます。咳はだいぶ収まったのだけど、薬のせいもあってか気を失いそうに眠いです。ちょっと油断すると意識が飛んでしまいそうです。あいかわらず口のなかは変な味だし。はやく治んないかなぁ。

さて、4月14日に「Podcastにしたらどうかしら」などという適当な記事を書きました。

そして今日、booplogの「出版業界ニュースリンク06年04月18日(火)」を読んでいたら、そのなかにこんな見出しが!

これからは、ポッドキャストでビジネス書!当世のビジネスパーソンに、(ValuePress!)

お、おぉ、おぉぉ!? もしや本当に本の内容をPodcasting? おいらの適当なぼやきが、もしやパクられた??

ちょっと興奮しました。アイデア料ください。

実際は、本そのものの内容をポッドキャストで配信するのではなく、エッセンスやポイントを紹介・解説するというもののようです。いわば書評のBlogやメールマガジンの音声版といったところですね。NetVoiceというサービスです。

これ、上手に告知したら、意外といいかもしれない。けっこう書評メルマガを読んでいる人は多いですし。的確なセレクションと的を射た解説ができるなら、通勤する満員電車のなかでも楽に情報が得られて、登録者も増えるかも。「ビジネス・ブック・マラソン」とか音声版にすればいいんだ。

こういったところから、これまで「文字で読んでいたもの」をPodcastにより「音声で聞く」といった習慣が生まれ定着したなら、NetVoiceが掲げる「ビジネス書を耳で読む」「通勤時間にながら読み」というのがユーザーに受け入れられたなら、出版業界のビジネスもいろいろと広がりそうだな。

なによりも「電子ブック=本の“紙の部分”を電子化しただけ」という発想から抜け出そうとしているのが感じられて、非常に好ましく思いますわ。

んで、どんな出版社さんが協力してるのかなぁと見てみたら、さすがですねぇ、かんき出版さんと中経出版さんはすでに名前を連ねてました。明日香出版さんの名前がないのが意外。こういうの、好きそうなのに。出遅れたか? あぁ、これは出版社から売り込むんじゃなくて、NetVoice側にセレクトされないといけないのか。

出版社としては、こういうのってひとつの広告・宣伝チャネルなわけですよ。ただ選ばれるのを待つだけでなく、どうにかして売込みをしたいところだなぁ。自社本を積極的に音声配信したいなぁ。

...などと個人的には考えたりもするのですが、こういう新しい試みへの協力や挑戦って、こう書房は、まずやろうとしないだろうなぁ。書店以外で本を売ることや、新聞以外に広告費を使うことに、消極的だからなぁ。


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2006/04/14

Podcastにしたらどうかしら


えっと、まず最初にいっておきます。Podcastってなんだか、おいらはよく知りません。いまだにiPodも持ってないしさぁ(通勤時はもっぱらポータブルCDプレイヤーでCDを聴いてます)、携帯電話も持ってないしさぁ(使い方も知らない)... というような状況です。なので、大きな勘違い、思い違い、理解の間違いがあるかもしれません。

そのあたりを踏まえたうえで。

先日、うちの会社の大ボス(社長くんね)が、暇だったのか、話しかけてきました。なんでも、新しい携帯電話がほしいと思っているのだそうです。テレビが見られるやつ。ワンセグとかいうんでしたっけ? ちなみに自分は、ワンセグもどういうことだかよくわかってませんが。

うちの大ボスは、もしかしたらけっこうテレビ好きなのかもしれません。映画やスポーツ番組やドキュメンタリーやニュースや、いろいろと見ているようです。会議のときなども「このあいだの、あの番組、みたか?」といった問いかけをよくされるのですが、自分はほとんどテレビを見ないので、けっこう困ります(^^;)。

いや、それはどうでもいいのですが。

ともかく大ボスは、テレビが見られる新しい携帯電話がほしいなぁと思っているそうなのです。だったら購入すればいいじゃんと思います。大ボスなんだから、社長なんだから、携帯電話くらい好きなものに買い換えたって、誰も文句なんていいません。

でも、大ボスにはひとつ、購入を躊躇するに値する大きな心配があるというのです。それはなにか?

テレビが見られる携帯電話でテレビを見るのは、いったいどういう状況のときでしょうか。大ボスのふだんの生活・行動から考えると、それは主に通勤等の移動時、電車に乗っているとき、になるのです。というか、電車のなかが暇だからテレビでも見よう、かといってポータブルのテレビをわざわざ買って持ち歩きたいほどではないのだが、日ごろから持ち歩く携帯電話で見られるなら便利だよなぁ、というのが「新しい形態がほしいぃ~っ」という動機のおおもとなのでしょう。

しかし、ここで大ボスははたと困ってしまいました。

電車の中でテレビを見てしまったら、本を読む時間がなくなってしまう。

そうです。大ボスにとって電車での移動時間は、大好きな読書のための大切な時間でもあるのです。

テレビを取るか、読書を取るか。これは大ボスにとって、とても重要な問題です。これがあるために、テレビつき携帯への買い替えがなかなか決断できないようです。

おいらとしては、どっちでもいいじゃんと思います。そんなに毎日、しかも電車に載っている時間に、見たいテレビ番組があるとは思えません。見たいものがある日はテレビを見る、ない日は本を読む、でいいのじゃないかなぁと、テレビにも読書にもそれほど強い欲求を持っていないおいらは考えてしまいます。

しかし、世の中の大きな流れを考えると、読書を捨ててテレビに向かう人は少なくないのだろうな、とも思います。

以前は、多くの人が通勤電車の中で本を読んでいました。新聞を読んでいる人もたくさんいました。

ウォークマンをはじめとした携帯用の音楽再生機ができて、音楽好きの若者は電車のなかで音楽を聴くようになりました。それでもエッセイなどの気軽に読める本やマンガなどは、音楽を聴きながら読んでいました。

やがて携帯電話が普及し、それで電子メールが送れるようになりました。電車のなかで本を読んでいた人は、本を読むあいまなどにメールのやりとりをするようになりました。そしてだんだんと、本を読むよりも友人間でメールのやりとりをするほうが楽しいと感じる人が多くなってきました。

さらに携帯電話はインターネットへも接続できるようになりました。メールなどの文字情報だけでなく、ウェブサイトにアクセスし、ヴィジュアルも見られ、情報検索にも使えるようになりました。それどころか、ゲームなどをダウンロードしたりと、小型でさまざまな用途に使えるエンタテインメント機器へと変貌していきました。

小さくて場所をとらないエンタテインメント機器であるマルチファンクション携帯電話を手に入れた人たちは、どんどんと読書を捨て、その興味は携帯電話を使ったエンタテインメントへと向かっていきました。

そして今度は、ワンセグ携帯電話でテレビが見られるようになるのです。Lismoで音楽も聴けるのです。まだかろうじて電車内で読書をしている数少ない人の何割かも、ついに読書を捨てるかもしれません。うちの大ボスのように読書が大好きで1日中本を読んでいるような人ですら、今回のワンセグ携帯には心動かされているのです。

読書って、非常に気力と体力のいるエンタテインメントだと思います。積極的に文章を読み、頭の中に映像を思い浮かべ、その場面での書く登場人物たちの心情や声音や表情を推し量り、読み進めなければいけない。これ、かなりのストレスです。しかも満員などの混んだ電車のなかではページをめくるのもままならなかったりしますし。

一方、音楽やテレビというのは、読書よりも圧倒的にストレスの少ないエンタテインメントです。自分はただ「受け取る」だけでよく、自分でなにかを一生懸命考えたりしなくても充分に楽しめます。しかも、音楽であればイヤホンをするだけで、本体はバッグの中に入れておけるので、身動きの取れない満員電車ないでも楽しめます。テレビにしても、携帯電話で見られるのなら、文庫本を読むよりも圧倒的に小さなスペースで事足ります。

ただでさえストレスの多い通勤時間の電車内。それを軽減するためのエンタテインメントですから、よりストレスの少ないものを選択するのは、非常に自然なことだといえるでしょう。

こうして、どんどんと「電車の中で読書をする人」は減っていき、かといって忙しい日常には「電車のなか」以外に読書をするような時間はなかなかとれず、結果として「どんな状況だろうが本を読みたい、その時間もつくる」という一部の超読書好き以外の人は、基本的に本を読まないのが当たり前になっていってしまうんだろうなぁと思う今日この頃。

えらく長くなりましたが、ここで最初に戻ります。

満員電車では文庫本ですら広げるスペースが取りにくい。しかも、自分で積極的に文章を読んで理解しなくちゃいけない読書は疲れるけど、映像や音声を受け取るだけの音楽やテレビはそんなに疲れない。

だったらさ、本も「読ませる」のではなく「聞かせる」にしちゃったらどうだろう。アナウンサーや役者など日本を読んでもらった「音声」を、有料でPodcast配信するの。本の内容にもよるだろうけれど、うちらのようなビジネス書出版社なら、たとえば自己啓発系の書籍とか、管理者・リーダー向けの人心掌握術とか、セールスパーソン向けのマニュアルとかは、全然問題ないというか、ものによっては音声で聴いたほうがかえっていいかもしれない。これってけっきょく、ビジネスパーソンや経営者向けなどによく行なわれている研修・セミナーのCD-ROM版と同じようなものだものね。

もちろん、本1冊単位で音声ファイルを売ってもいいけど、たとえば1章ごと、1項目ごとに売るのでもいい。毎日1項目ずつ配信したら、もしかしたら毎日の朝礼・ミーティング時にテーマとして採用してくれる企業さんとかも出てくるかもしれない。さらに、たとえば接客マニュアルやマナー本のようなもので「動きの解説」とかが必要な場合、本であればイラストや図解などで表現していたけれど、これも音声付動画ファイルとして配信すれば、携帯電話で見られたりしないのかな。

どうでしょう、「本(の内容)を音声ファイルで(も)売る」というアイデア。最初の録音時に余分な費用がかかるけれど、1回録音してしまえば、あとはそのファイルを配信するだけだから、本のように初版部数や増刷部数で悩んだりということもなくて、便利だし、ダウンロード数が増えたときの利幅も大きいと思うのだけど。コピー対策をどうするかは考えなくちゃいけないけどな。

電子ブックがあまり普及しないのは、紙の本の考え方をそのままデジタルデータに置き換えようとしてるからじゃないかと思う。本というハードを電子ブックリーダーというハードに置き換えるだけで、文字を読ませるという基本的な考え方や扱い方にかわりがない。それでは、わざわざハードを替えるだけの動機にはならないと思うのですよ。それにたぶん、本というハードのほうが使い勝手もいいだろうし。文字を読ませることに執着するにしても、フォントサイズが変えられるとか、自動ページ送り機能があるなどという、いかにもアナログな本から生まれた範囲内ぽい発想の機能をつけるのではなく、大胆にページが入れ替えられるとか、一括で登場人物等の名前を自分や友人の名前に置き換えられるとか、自分でマークをつけたところだけを抽出したオリジナルのハイライト版をつくれるとか、そういった機能をつけたほうがよっぽどいいと思う。って、これではゲームノベルか? 実は電子ブック市場はゲームの世界ですでに開拓され成熟しているというようなことを誰かが書いているのをどこかで読んだが、そのとおりなのかもしれない。

それとは別の方向で、文字を読ませるという考えを捨て、もっと自由に「コンテンツを届ける」と考えれば、それが文字でなく音声でも動画でもいいわけで、広がるのではないかなぁ。電車の中で、好きなときに好きなところを聴けるラジオドラマといった感じ? それが普通の本と同じ値段で買えたらいいかもなぁ。

携帯の買い替えに悩む大ボスを見て、そんなことをぼんやりと考えたのでした。


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2006/03/29

まずタイトルを決めろ

2006年3月28日のITmedia Newsにあった記事。角川デジックス、バンダイネットワークス、公募ガイドの3社が募集を開始した、携帯電話で読む「ケータイ小説」のための文学賞だそうです。そのタイトルが「タイトルが先だ!文学賞」。

まずはタイトルだけを募集して、タイトルが決まったらキャッチコピーと表紙イラストを募集、そして最後に小説の中身を募集するというシステム。全部、そのつど募集するわけです。ということは、それぞれの段階でまったく別の人の案が通ることもあるわけですね。

ケータイ小説は、小さな画面上に表示される情報だけで購入を決めるため、タイトルのインパクトが売上を左右するから、まずは売れそうなタイトルを、中身はそのあとでOKという考え方。

タイトルのインパクトで売上が左右されるのは、ケータイ小説に限ったことじゃありません。紙媒体の単行本だって、書店の棚に入れば背表紙という小さな面積に書かれた書名だけが頼りになりますし、ネット書店でもタイトルと著者名以外の情報はたいして提供されていないからおんなじ。

そういう意味で、こういう考え方はありだと思います。ありだとは思いますが、それでいいのかなぁという感じも自分としてはあります。まずは「売れそうなパッケージ」をつくり、中身はパッケージが決まったあとに考える(当てはめていく?)。完全に外側優先、中身はそこそこでOK、といった印象を受けてしまいます。

最近はインパクト重視、最初のインパクトで強烈にひきつけないと、いちいち中まで見てくれないという傾向にあるのは事実でしょう。ものが多くあふれかえり、いろいろなことに忙しくて時間のない現代には、見た目よりも内容重視、まずはじっくり内容を吟味して質の良い悪いを自分で判断し、選択し、購入の意思決定をするというスタイルは合わないのかもしれません。こういった状況のなかで確実に売っていくには、こうしたアプローチは可能性の高い選択肢のひとつのように思えます。実際、これに近い考え方で企画をたてること(を要求されること)もありますし。

でもやはり、自分としては、それでいいのかなぁと思ってしまう。そういうのもあっていいけれど、そうじゃないもののほうが、おそらく自分は好きだろうし、納得もできるのだろうなと。


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2006/03/16

見ている相手が違う気がする

もう1か月くらい前に書かれたものですが、こんな記事を見つけました。

アマゾン「なか見!検索」って、どうよ?

なんだか『新文化』(出版業界の専門新聞です)に特集記事のようなものがあったようですね。うちの会社でも『新文化』はとっていたように思うのですが、編集部に異動になって以来、ほとんど見た記憶がありません(営業部のころはほぼ毎回チェックしてた)。

しかし、なんだかなぁ。

「なか見!検索」は、あって当たり前のサービスだと思います。これを批判するよりも、これまで同様のサービスをきちんと出版社が自社サイトで提供してこなかったことのほうが批判されるべきだと思いますけどねぇ。

出版社には、いまでも「本は書店で買うもの、書店で買うのが正しい」といった考えを持った人が少なくないようです。おそらく、ご自分が「書店以外では本を買わない」タイプなんだろうと思います。それはそれで素敵なことですので、どうこういう筋合いはありません。

でも、そういう人ばかりじゃないんですよ、一般的には。

書店に行って「本との出会い」を楽しむような人は「書店こそがパラダイス」なのでしょうが、最初から購入したい本が決まっている人、「いま話題になっているあの本が読みたい」という人にとっては、その本が早く確実に手に入りさえすれば、書店で買おうがコンビニで買おうがネットで買おうが、かまわないわけです。だって本は、どこで買っても同じ内容で、売価も同じなんですから。

また、出版社の多くは首都圏に会社がありますから、そこに勤める人は、通勤途中や会社の近所など、ちょっと足を伸ばせば大きな書店にたどり着き、なんでも欲しい本が手に入るかもしれません。でも、新宿の紀伊國屋さんや神保町の三省堂さんや池袋のジュンク堂さんのように幅広く大量の蔵書をそろえている書店が、日本全国にいったい何軒あるというのでしょうか。本を買うためにクルマや電車に乗ってけっこうな距離を出かけなければならないという地域のほうが圧倒的に多いと思うんですよ。そのうえ、その本が確実に書店にあるかどうかはわからない、書店で注文してもいつ入荷するかわからない、入荷したらしたで、また遠くまで出かけなければならないわけです。実際、そういった理由で「出版社から直接送ってほしい」というご要望の電話を読者さんからいただくことも少なくないですし。

そういうときに、ネットでの検索・購買は、とても便利なんです。家にまで届けてくれるので楽だし、Amazonではおおよその出荷予定もわかるしね。自分もここ数年、読みたい・買いたいものが決まっているときは、全部ネット書店から買っちゃいます。リアル書店にまで行くのにかかる時間と交通費、店頭の膨大な本のなかから探すのにかかる時間と労力を考えたら、ネット書店のほうが圧倒的に便利だからです。

ただ、ネット書店の弱点は、本の中が見られないこと。おおよそどういうことが書いてあって、どんなページデザインで、図とかが多いのかそうでないのかといったことがわからない。だから、書名やテーマでひかれても、躊躇してしまうことがある。

だったらリアル書店に行って現物を確認すればいいじゃんというのが、おそらく出版社側の考え方なのでしょう。書店に行けば中が見られるのだから、そこで見てくれと。

違うんだよなぁ。タイトルとかを見てちょっと気になった、中身がよさそうだったら買いたいな、と思っても、「そのとき」に中が確認できなかったら、「買いたいな」という気持ちはしぼんでしまうことのほうが多いのですよ、だいたいどんな商品でも。わざわざ「それじゃ書店に行って確認しましょう」とは、よほどその本に思い入れがないかぎり、なかなかならないの。「中わかんないなぁ、じゃぁ買わなくていいか」というのが多くの消費者の消費行動だと思うのですよ。

逆にいえば、ネット上で気になる本を見つけたときに、すぐにネット上で大雑把にでも中身を確認できたなら、そのままネット上での購買につながるケースも多いわけです。こんなことは、もう何年も前から音楽業界は実験をしてて、成果を出してるし、そもそもリアル書店での消費行動と同じじゃないですか。なぜそれを嫌がる、阻止しようとするのか、理解できません。

言語学出版者フォーラムの岡野さんという方は、「なか見!検索」は著作権者・出版社の利益にならないとおっしゃっているようですが、「なか見!検索」によってネット上での販売チャンスがあがる、要するに「本が売れる」なら、著作権者・出版社の利益になるはずなんです。この方の意識は、その次の設問、「(3)今まで出版界を支えてくれた書店の利益になるか? ノー」にすごくとらわれているように感じますね。リアル書店の顧客がネット書店に流れることを助長する可能性のあるものは、すべて悪、みたいな。

また、緑風出版の高須さんという方は、「読者サービスの美名の下に本のコンテンツすべてをネット書店がスキャンすることを許したら、出版社の存亡にかかわる恐れがある」とおっしゃってるようですが、「なか見!検索」って全ページのスキャン&無料閲覧を今後予定してるんですか? もし全ページの無料閲覧をするというのであると、そりゃ困っちゃうのですが(だったら電子ブックとして販売してくれ)、そうはしないんじゃないの? というか、そこは「目次以外の本文は最大10ページまで」とか決めましょうよ。音楽業界だって試聴ファイルは30秒程度という約束事があるのだから。あと、ダウンロードファイルの扱いについても、慎重に検討すべきではあります。そういったルールを決めればいいだけのことで、そういった検討もせず全否定という姿勢だとしたら、もう残念この上ないです。

自分としては、匿名(「なか見!検索」に参加している出版社の営業職)さんのおっしゃる「従来の売り方のまま進化しようとしない、多くの出版社や書店に問題がある」が最もしっくりくる考え方ですね。

出版業界にとっての「お客さま(商品を買ってくださる人)」は、誰だと思ってるんだろう。間違いなく、本を買って読んでくれる「読者さん」ですよね。なのに、どうも「お客さま」よりも問屋さんや小売店を重視したがる傾向があるように感じることしばしば。見ている相手が違うんだよな。もちろん問屋さんも小売店さんも大切なパートナーですが、業界内でおたがいに顔色をうかがいあって「本来のお客さまはないがしろ」になってしまっては意味がないですよね。

大切にしなければいけないのは、読者さんという「お客さま」に喜んでもらうこと、「お客さま」がストレスなく、楽しく、本という「商品」を購入できることだと思うんですよ。そのために、メーカーとしてできること、問屋としてできること、小売店としてできることを、それぞれに考えるべきですよね。そのなかには個別でできることもあれば、協力したほうが効果的なこともあるでしょう。でも、そのときの判断基準は「お客さまにとって、いいことか」がいちばんのベースであるべきだと思うんです。その実行になにか障害があったとしても、まずはそこから考えて解決策を探るのが本来ですよね。だけど、なんとなく、そうじゃないところから出発して障害を障害のまま残したい人が少なからずいるのかなぁと、そんな気もします。

かんき出版さんから出ている『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』に、こういうお話が出てきます。

アメリカ・ボストンのリッツ・カールトンではオペラハウスとタイアップして、オペラの休憩時間にリッツのレストランで食事をするというプログラムがあるそうです。しかしある日、オペラハウス側のミスで、リッツのレストランが休みの日にそのプログラムが組まれてしまいました。

当日、レストランが休みであることを知らないお客さまが何組もリッツを訪れます。リッツ側はそこで初めて、そういったミスがあったことを知ります。当然、レストランのシェフは来ていないし、ディナー用の食材も用意してありません。普通であれば「オペラハウスの側でミスがあったようです、残念ながら料理は用意できません」というでしょう。

でも、リッツは違う。

まず、その日もサービスを提供しているバーのスタッフに連絡し、バーカウンターの一角にレストランと同じようなセッティングをつくり、そこにお客さまをご案内します。次に、ルームサービスのスタッフが知恵を絞って、いまある食材でできる最高の料理をつくり、お客さまに食事を楽しんでもらったのです。これを、オペラの休憩時間である1時間のあいだに、事前の代替案のない中から、考えて実行したのです。

なぜ、ここまでするのでしょうか。なぜなら、リッツでの食事を楽しみにしてきたのに「できません」といってしまったら、お客さまは落胆したままオペラハウスに戻り、後半のオペラも楽しめないだろうと、リッツのスタッフたちは考えたからです。実際、提供された料理は通常のレストランで出されるものよりは完成度が低かったことでしょう。しかし、リッツのスタッフが自分たちのために必死で考えて、いまできうる最高のサービスを提供してくれたことを、お客さまは感じます。そこに感謝と喜びを感じて、楽しい気分でリッツをあとにできるのです。

どうでしょう。お客さま=読者さんをここまで大切にする気持ちを、自分たち出版業界も持っていると、足りないかもしれないけれど持っているんだと、胸を張っていえる人がどれだけいるだろう(自戒を込めて)。

このお話の最後は、こう締められています。

「お客さまに喜んでいいただくことで、私たちもまたしあわせな気持ちになれるし、成長できるのです。これが仕事の本質ではないでしょうか。」
(『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』高野登著・かんき出版より)

出版業界がなかなか成長できないのは、お客さまに喜んでいただくことに、あまりにも無頓着だからではないかと思うことの少なくない今日この頃です。

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西日本新聞  3月6日(月)掲載
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北海道新聞  3月7日(火)掲載
京都新聞   3月13日(月)掲載
静岡新聞   3月14日(火)掲載
河北新報   3月15日(水)掲載
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☆論理力
☆強いリーダーシップの絶対条件
☆平成18年度版 勝ちナビ宅建【過去問10年500+予想問50】

山陰中央新報 3月9日(木)掲載
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2006/03/14

哀しい本は見たくない

ある企画テーマについて書けそうな著者さんを探してまして、関連テーマの本を検索し、リストアップしたのですよ。そしたら、そのなかに、ある出版社から同種のテーマで2冊の本を出されている方を見つけまして。そこで、この方の著書一覧を見てみたら、あらいやだ、こう書房でも以前に本を書いてくださったことがあるじゃないですか。けっこう前の本だし、自分の担当じゃなかったし、こう書房で出したのは全然別(というわけでもないか)のテーマの本なので、気づきませんでしたよ。

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